胸キュンな卒業式
明日30日、私の友人が卒業式を迎えます。
今からちょうど20年前
彼女は 女性庭師 になりました。
「庭師は男の仕事! 女には無理だ!」
と言われる中、
彼女はけっして夢を諦めることはなく、
キビシイ見習い期間を経て
夢を叶えました。
一人前の庭師になった彼女は
どんどんと腕を上げ
東京にある某一流ホテルや有名女優、
大企業の社長宅の庭を任されるまでになりました。
その後、結婚。
東京近郊での仕事を手放し
長野に嫁いでくることになります。
それまでやっていた仕事ができなくなった彼女は
「それなら一人で!」
と、長野で独立することを決めました。
自分でチラシを手作りし
一軒一軒の家の周り
ポストにチラシを入れる日々・・・。
はじめは少しの反応もありませんでしたが
少しずつ仕事が増えていき
数年すると、
大人気の庭師になっていました。
職人としての確かな腕と
笑顔が絶えない人柄により
人が人を呼び
ここ数年は新規のお客様は入れないほどの状態でした。
そんな彼女が
明日30日、
20年間続けてきた庭師を卒業するのです。
そのきっかけとなったのは
今から2年前の秋のこと。
私のもとに
突然彼女から電話がかかってきました。
「みゆ・・・今、話できる?」
元気のない声に、すかさず
「なにがあったの?」
と聞くと、
彼女はこれまで聞いたことがないくらい
か細い声で言いました。
「大切なお客さんの庭を
うまく手入れできない・・・。
腕にも限界がきているみたい・・・。」
そう言うと
ビエ~ン
と泣き出したのです。
クチコミで次々と依頼をいただいていた彼女は
「せっかく紹介していただいた大切なお客様を
お断りするわけにはいかない!」
と休みを返上して仕事をしていました。
しかし皮肉なことに
それによって大切なお客様の庭を
丹精込めて手入れすることができなくなってしまったのです。
「これじゃ、本末転倒だね・・・」
その時はそう言って電話を切りました。
それから1年半後の今年の夏。
また彼女から突然の電話。
「ねえ。 話したいことがあるんだけど、今から会える?」
元気そうな声にホッとした私は
「 うん! いいよ~!」
と言って待ち合わせのファミレスに行きました。
すると
先に待っていた彼女は
私が席に着くなり、満面の笑顔で言うんです。
「私ね、今年いっぱいで今の仕事やめることにした~
」
「はあ

??? 仕事を減らすとかじゃなくて???」
「うん! 私ね、弟子入りすることにしたんだ~
」
「弟子入り???
弟子を取るんじゃなくてぇ???」
びっくりしている私の目の前に
彼女は一枚のパンフレットを置きました。
そこにはどなたかのサインと一緒に
ひとことが添えられていました。
『いつか君と一緒に仕事がしたい!』
(といったような言葉)
「ずっと憧れているガーデンの社長に
前に書いてもらったの。
これをずっと持っていたんだよ。
でね、私、わかったんだよ。
私はずっとここで働きたかったんだって!!」
圧倒されてしまうほど
キラキラと目を輝やかせている彼女に
私は冷静を装って聞きました。
「こんなに成功しているのに手放すなんて・・・。
本当にそれでいいの?」
売上だって右肩上がり。
その年も最高益をだしていた彼女です。
すると彼女は
ますます目を輝かせながら言うんです。
「過去の実績や成功よりも
もっと大切なものを見つけたんだ!
今の私には楽しみしかないよ~♪♪」
私はここ2年間、ずっと彼女のことを見てきました。
徹底してお客様の要望に応えようとする姿や
そのために技術を向上させようと勉強を続けている姿・・・。
さまざまな庭を手がけている彼女に
私は一度聞いたことがあります。
「自分的には、どんな庭が好きなの?」
すると彼女は、ニコニコしながら言うんです。
「私は特に、これといって好きな庭はないよ。」
「えー? ないの?」
びっくりする私に彼女は言いました。
「私は自分の好きな庭が作りたいんじゃなくて
お客様が好きな庭を作りたいんだ。」
そんな彼女は
本当にお客様から愛され、可愛がられていたのだと思います。
「これ、お客さんからもらったんだ
ステキでしょ!」
と言いながら、お客さんからいただいたお下がりの服や帽子を自慢したりしていました。
そして、会うたび彼女は言いました。
「人に認められるためじゃなくて、
自分がこれでよかったと思える生き方がしたい。」
そんな生き方の基盤を作ってくれたのが
若くして他界した彼女のお母さまのようです。
そして彼女は
今年の締めくくりに
これでいい!と思える生き方への
さらなる一歩を踏み出すのです。
そして気になる、その彼女とは・・・
Garden Staff 代表あわちゃん こと
粟野原 順子さん。
ここまで読んでいただいて
「えー! あわちゃん仕事辞めちゃうの
?」
とびっくりされた方もいらっしゃることでしょう。
私も、それはそれはびっくりしましたから・・・
そんな人騒がせな (?おっと・・失礼
) あわちゃんは
12月30日 「 Garden Staff 代表 あわちゃん」を卒業し
1月から 「GARDEN SOIL 弟子 あわちゃん」
(弟子入りと言っても、そう思っているのは本人だけですが
)
になります。
ナチュラルガーデンといえば
GARDEN SOIL(ガーデン ソイル) !
というくらい、全国的に有名なトコロですから
ご存知の方も多いと思いますが、
お庭に入った瞬間に
「ここは天国?」
と思ってしまうくらい
美しすぎるガーデンです

こちらはあわちゃん作! うまい!

こんな花畑や・・・

こ~んな花畑があったり・・・

かわいい雑貨が売っていたり・・・

雑誌で特集を組まれてしまうようなガーデンです
是非一度、
足を運んでみてください
これは内緒のお話ですが・・・
これまでご依頼をいただいていたお客様とのお別れが惜しくて、寂しくて、
あわちゃんは何度も涙を流しておりました。
~*~ 追記 ~*~
これまで楽しませてくれたブログ 「Garden Staff日記」 も
そろそろ最終回となるそうです。
新しいブログも立ち上げるそうなので
乞うご期待!
今からちょうど20年前
彼女は 女性庭師 になりました。
「庭師は男の仕事! 女には無理だ!」
と言われる中、
彼女はけっして夢を諦めることはなく、
キビシイ見習い期間を経て
夢を叶えました。
一人前の庭師になった彼女は
どんどんと腕を上げ
東京にある某一流ホテルや有名女優、
大企業の社長宅の庭を任されるまでになりました。
その後、結婚。
東京近郊での仕事を手放し
長野に嫁いでくることになります。
それまでやっていた仕事ができなくなった彼女は
「それなら一人で!」
と、長野で独立することを決めました。
自分でチラシを手作りし
一軒一軒の家の周り
ポストにチラシを入れる日々・・・。
はじめは少しの反応もありませんでしたが
少しずつ仕事が増えていき
数年すると、
大人気の庭師になっていました。
職人としての確かな腕と
笑顔が絶えない人柄により
人が人を呼び
ここ数年は新規のお客様は入れないほどの状態でした。
そんな彼女が
明日30日、
20年間続けてきた庭師を卒業するのです。
そのきっかけとなったのは
今から2年前の秋のこと。
私のもとに
突然彼女から電話がかかってきました。
「みゆ・・・今、話できる?」
元気のない声に、すかさず
「なにがあったの?」
と聞くと、
彼女はこれまで聞いたことがないくらい
か細い声で言いました。
「大切なお客さんの庭を
うまく手入れできない・・・。
腕にも限界がきているみたい・・・。」
そう言うと
ビエ~ン

クチコミで次々と依頼をいただいていた彼女は
「せっかく紹介していただいた大切なお客様を
お断りするわけにはいかない!」
と休みを返上して仕事をしていました。
しかし皮肉なことに
それによって大切なお客様の庭を
丹精込めて手入れすることができなくなってしまったのです。
「これじゃ、本末転倒だね・・・」
その時はそう言って電話を切りました。
それから1年半後の今年の夏。
また彼女から突然の電話。
「ねえ。 話したいことがあるんだけど、今から会える?」
元気そうな声にホッとした私は
「 うん! いいよ~!」
と言って待ち合わせのファミレスに行きました。
すると
先に待っていた彼女は
私が席に着くなり、満面の笑顔で言うんです。
「私ね、今年いっぱいで今の仕事やめることにした~


「はあ



「うん! 私ね、弟子入りすることにしたんだ~


「弟子入り???


びっくりしている私の目の前に
彼女は一枚のパンフレットを置きました。
そこにはどなたかのサインと一緒に
ひとことが添えられていました。
『いつか君と一緒に仕事がしたい!』
(といったような言葉)
「ずっと憧れているガーデンの社長に
前に書いてもらったの。
これをずっと持っていたんだよ。
でね、私、わかったんだよ。
私はずっとここで働きたかったんだって!!」
圧倒されてしまうほど
キラキラと目を輝やかせている彼女に
私は冷静を装って聞きました。
「こんなに成功しているのに手放すなんて・・・。
本当にそれでいいの?」
売上だって右肩上がり。
その年も最高益をだしていた彼女です。
すると彼女は
ますます目を輝かせながら言うんです。
「過去の実績や成功よりも
もっと大切なものを見つけたんだ!
今の私には楽しみしかないよ~♪♪」
私はここ2年間、ずっと彼女のことを見てきました。
徹底してお客様の要望に応えようとする姿や
そのために技術を向上させようと勉強を続けている姿・・・。
さまざまな庭を手がけている彼女に
私は一度聞いたことがあります。
「自分的には、どんな庭が好きなの?」
すると彼女は、ニコニコしながら言うんです。
「私は特に、これといって好きな庭はないよ。」
「えー? ないの?」
びっくりする私に彼女は言いました。
「私は自分の好きな庭が作りたいんじゃなくて
お客様が好きな庭を作りたいんだ。」
そんな彼女は
本当にお客様から愛され、可愛がられていたのだと思います。
「これ、お客さんからもらったんだ

と言いながら、お客さんからいただいたお下がりの服や帽子を自慢したりしていました。
そして、会うたび彼女は言いました。
「人に認められるためじゃなくて、
自分がこれでよかったと思える生き方がしたい。」
そんな生き方の基盤を作ってくれたのが
若くして他界した彼女のお母さまのようです。
そして彼女は
今年の締めくくりに
これでいい!と思える生き方への
さらなる一歩を踏み出すのです。
そして気になる、その彼女とは・・・
Garden Staff 代表あわちゃん こと
粟野原 順子さん。
ここまで読んでいただいて
「えー! あわちゃん仕事辞めちゃうの

とびっくりされた方もいらっしゃることでしょう。
私も、それはそれはびっくりしましたから・・・

そんな人騒がせな (?おっと・・失礼

12月30日 「 Garden Staff 代表 あわちゃん」を卒業し
1月から 「GARDEN SOIL 弟子 あわちゃん」
(弟子入りと言っても、そう思っているのは本人だけですが

になります。
ナチュラルガーデンといえば
GARDEN SOIL(ガーデン ソイル) !
というくらい、全国的に有名なトコロですから
ご存知の方も多いと思いますが、
お庭に入った瞬間に
「ここは天国?」
と思ってしまうくらい
美しすぎるガーデンです


こちらはあわちゃん作! うまい!

こんな花畑や・・・

こ~んな花畑があったり・・・

かわいい雑貨が売っていたり・・・

雑誌で特集を組まれてしまうようなガーデンです

是非一度、
足を運んでみてください

これは内緒のお話ですが・・・
これまでご依頼をいただいていたお客様とのお別れが惜しくて、寂しくて、
あわちゃんは何度も涙を流しておりました。
~*~ 追記 ~*~
これまで楽しませてくれたブログ 「Garden Staff日記」 も
そろそろ最終回となるそうです。
新しいブログも立ち上げるそうなので
乞うご期待!
『この世に・・・』
『いのちの時間』を出版して、半年が過ぎました。
この本から私がお伝えしたかったことの中心は、
過酷な闘病生活が私に教えてくれたこと・・・
「環境や状況が幸せを作ってくれるのではなく、幸せは気づいていくものなのだ」
ということでした。
当たり前の生活がどれほど幸せなのかと・・・。
しかし、この本を読んでくださった方が、
違った視点からとても大切なことを教えてくれました。
それは、
「この世に生まれてこなければよかった命なんてひとつもないということ・・・」
そう書かれたまさこさんのブログを読んで
ハッとしました。
「この世に生まれてこなければよかった命なんてひとつもない」・・・
そんなのは当たり前のことだと思い込んでいた自分がいました。
改めて言われて、胸のあたりがズキっとしました。
そして、
その言葉を見たとき、
私が抱えていた小さな傷が癒えていくのがわかりました。
渓太郎との闘病中、
お見舞いに来てくれた親戚の方が言った、なにげない言葉が
ずっと私の心の中に刺さっていました。
「苦しむために生まれてきたような子だ・・・」
それは渓太郎をかわいいと思うからこそ出てきた言葉でしたが、
当時の私は、その言葉をうまく受け止めることができなくて、
自分を責めるようになってしまいました。
「私が病気の体に生んでしまったんだ」
「私のせいで渓太郎は苦しんでいるのだ」と・・・。
でも、
『この世に生まれてこなければよかった命なんてひとつもない』
と書かれているのを見たとき、
改めて心の中で
「渓太郎は、決して苦しむために生まれてきたわけではなくて
幸せになるために・・・
誰かを幸せにするために生まれてきたんだよね」
とつぶやいている自分がいました。
『この世に生まれてこなければよかった命なんてひとつもない』
大切なことを思い出させてくれてありがとう。

この本から私がお伝えしたかったことの中心は、
過酷な闘病生活が私に教えてくれたこと・・・
「環境や状況が幸せを作ってくれるのではなく、幸せは気づいていくものなのだ」
ということでした。
当たり前の生活がどれほど幸せなのかと・・・。
しかし、この本を読んでくださった方が、
違った視点からとても大切なことを教えてくれました。
それは、
「この世に生まれてこなければよかった命なんてひとつもないということ・・・」
そう書かれたまさこさんのブログを読んで
ハッとしました。
「この世に生まれてこなければよかった命なんてひとつもない」・・・
そんなのは当たり前のことだと思い込んでいた自分がいました。
改めて言われて、胸のあたりがズキっとしました。
そして、
その言葉を見たとき、
私が抱えていた小さな傷が癒えていくのがわかりました。
渓太郎との闘病中、
お見舞いに来てくれた親戚の方が言った、なにげない言葉が
ずっと私の心の中に刺さっていました。
「苦しむために生まれてきたような子だ・・・」
それは渓太郎をかわいいと思うからこそ出てきた言葉でしたが、
当時の私は、その言葉をうまく受け止めることができなくて、
自分を責めるようになってしまいました。
「私が病気の体に生んでしまったんだ」
「私のせいで渓太郎は苦しんでいるのだ」と・・・。
でも、
『この世に生まれてこなければよかった命なんてひとつもない』
と書かれているのを見たとき、
改めて心の中で
「渓太郎は、決して苦しむために生まれてきたわけではなくて
幸せになるために・・・
誰かを幸せにするために生まれてきたんだよね」
とつぶやいている自分がいました。
『この世に生まれてこなければよかった命なんてひとつもない』
大切なことを思い出させてくれてありがとう。

「ありがとう」を伝えたい・・・
先日、講演会で伺った学校の保護者役員の方が、
私に、ある学校新聞を見せてくださいました。
「ここに、中村さんのことが書かれていましたよ」
そう言って渡してくれた、その新聞の表紙を見ましたが
いくら考えてみても、私が講演会などで伺ったことのある学校ではありません。
(ん? この新聞のどこに私のことが?)
と思いながら、中を拝見すると・・・・
そこには、高校3年生が
【お勧めしたい本】として
「いのちの時間」の感想を書いてくれてあったのです。

「うわー!すごい!」
思わず大きな声をだしてしまった私・・・。
そして、私がお伝えしたかったことを
しっかりと受け取ってくれているその内容を読んで
心の底から「書いてよかった!」という気持ちが湧いてきました。
この本の企画書を書いたときには、
予想できる読者対象に、小中学生や高校生は含まれていませんでした。
だけど・・・
本を読んでくださった方から
「大人だけでなく学生の皆さんにも読んでいただけるのだ・・・」ということを教えてもらいました。
小学生や中学生から感想をいただくことがあります。
そして、小学校中学校に献本をしてくださっている方がいます。
そして、今回のように、本を紹介してくれる高校生がいます・・・。
私は執筆作業をしただけですが、
こうして、「いのちの時間」を育ててくださっている方がいることに
心から感謝をお伝えしたい気持ちでいっぱいです。
本当だったら、直接お礼が言いたいな・・・
奇跡が起きて、記事を書いてくれた3年生がこのブログを読んでくれないかなぁ・・・
たぶん直接伝えられないけど・・・
「本当にありがとう!」
私に、ある学校新聞を見せてくださいました。
「ここに、中村さんのことが書かれていましたよ」
そう言って渡してくれた、その新聞の表紙を見ましたが
いくら考えてみても、私が講演会などで伺ったことのある学校ではありません。
(ん? この新聞のどこに私のことが?)
と思いながら、中を拝見すると・・・・
そこには、高校3年生が
【お勧めしたい本】として
「いのちの時間」の感想を書いてくれてあったのです。

「うわー!すごい!」
思わず大きな声をだしてしまった私・・・。
そして、私がお伝えしたかったことを
しっかりと受け取ってくれているその内容を読んで
心の底から「書いてよかった!」という気持ちが湧いてきました。
この本の企画書を書いたときには、
予想できる読者対象に、小中学生や高校生は含まれていませんでした。
だけど・・・
本を読んでくださった方から
「大人だけでなく学生の皆さんにも読んでいただけるのだ・・・」ということを教えてもらいました。
小学生や中学生から感想をいただくことがあります。
そして、小学校中学校に献本をしてくださっている方がいます。
そして、今回のように、本を紹介してくれる高校生がいます・・・。
私は執筆作業をしただけですが、
こうして、「いのちの時間」を育ててくださっている方がいることに
心から感謝をお伝えしたい気持ちでいっぱいです。
本当だったら、直接お礼が言いたいな・・・
奇跡が起きて、記事を書いてくれた3年生がこのブログを読んでくれないかなぁ・・・

たぶん直接伝えられないけど・・・
「本当にありがとう!」
涙
昨日、コーチングセッションを受けに来てくださったAさんが
セッションルームに入るなり言いました。
「今日はね、どうしても見せたいものがあるんだ♪」
そう言うAさんの手には大きな紙袋が握られていて、
私がその紙袋の方に視線を向けると
Aさん、ちょっと笑いながら言いました。
「あ!大きな袋だけど、プレゼントじゃないの(笑)」
「ん?なに?」
「えっとねぇ・・・。じゃじゃ~ん!!」
そう言いながら、Aさんが袋の中から取り出したのは
きれいにラッピングされた『いのちの時間』

それも1冊や2冊じゃなくて、袋の中には何冊もの本・・・。
あんまりにもびっくりして、一瞬言葉を失いました。
目の前にある本には、渓流をイメージさせる水色のリボンが結ばれていて、
波打つように折りたたまれたピカピカと光る包装紙は、まさに渓流が流れる姿そのものでした。
「どうして・・・?」
涙がこみ上げて、それ以上何も言えずにいると、
Aさん、ひとこと言いました。
「まさこさんがね、
せっかくプレゼントするならキレイなラッピングをしたい!って、
まきちゃんにラッピングの依頼をしたんだよ」
まさこさんが図書館などに「いのちの時間」を贈ってくださっていることは知っていました。
ですから、大切に思ってくださっているだろうことも知っていました。
でもまさか、自分の知らないところでこんなことまでしてくれていたなんて・・・。
そしてまさこさんが、まきちゃんに
渓太郎の顔が見えるようにしてほしいことや、
渓流のイメージにしてほしいことをお願いしてくれて・・・
それを聞いたまきちゃんは、
まさこさんから聞いたイメージに近づけるために、
何度も何度もいろいろな包み方を試してくれたことを知りました。
本当にうれしくて、ありがたくて、
セッションのあと、おふたりにお礼のメールをさせていただきました。
すると・・・・
いただいたお返事には
「ありがとう」
「感謝のきもちでいっぱいです」
と・・・。
おふたりはとっても大変だったはずなのに・・・。
そう思うと、お返事を見てまた涙・・・。
「いのちの時間」は私にとって、つたない自分の人生の集大成を書いた本でした。
しかし出版したあとは
読者の方からの温かい感想を拝見しても、どこかで
「本当に誰かのお役に立てるのか」
「たくさんの出版物の中のひとつでしかないのだ・・・」
と思うと、自分の力のなさを感じて落ち込むこともあったりました。
だけど、本に結ばれた水色のリボンを見たとき、
心の隅っこにあったそんな気持ちをスっと洗い流された感じがしました。
本当にありがとうね。
そして、キレイなラッピングを私に見せるために
わざわざ重たい荷物を運んできてくれたAさん・・・
Aさんのおかげで、こんなにしあわせな現実があったことを知ることができました。
本当にありがとう。
セッションルームに入るなり言いました。
「今日はね、どうしても見せたいものがあるんだ♪」
そう言うAさんの手には大きな紙袋が握られていて、
私がその紙袋の方に視線を向けると
Aさん、ちょっと笑いながら言いました。
「あ!大きな袋だけど、プレゼントじゃないの(笑)」
「ん?なに?」
「えっとねぇ・・・。じゃじゃ~ん!!」
そう言いながら、Aさんが袋の中から取り出したのは
きれいにラッピングされた『いのちの時間』

それも1冊や2冊じゃなくて、袋の中には何冊もの本・・・。
あんまりにもびっくりして、一瞬言葉を失いました。
目の前にある本には、渓流をイメージさせる水色のリボンが結ばれていて、
波打つように折りたたまれたピカピカと光る包装紙は、まさに渓流が流れる姿そのものでした。
「どうして・・・?」
涙がこみ上げて、それ以上何も言えずにいると、
Aさん、ひとこと言いました。
「まさこさんがね、
せっかくプレゼントするならキレイなラッピングをしたい!って、
まきちゃんにラッピングの依頼をしたんだよ」
まさこさんが図書館などに「いのちの時間」を贈ってくださっていることは知っていました。
ですから、大切に思ってくださっているだろうことも知っていました。
でもまさか、自分の知らないところでこんなことまでしてくれていたなんて・・・。
そしてまさこさんが、まきちゃんに
渓太郎の顔が見えるようにしてほしいことや、
渓流のイメージにしてほしいことをお願いしてくれて・・・
それを聞いたまきちゃんは、
まさこさんから聞いたイメージに近づけるために、
何度も何度もいろいろな包み方を試してくれたことを知りました。
本当にうれしくて、ありがたくて、
セッションのあと、おふたりにお礼のメールをさせていただきました。
すると・・・・
いただいたお返事には
「ありがとう」
「感謝のきもちでいっぱいです」
と・・・。
おふたりはとっても大変だったはずなのに・・・。
そう思うと、お返事を見てまた涙・・・。
「いのちの時間」は私にとって、つたない自分の人生の集大成を書いた本でした。
しかし出版したあとは
読者の方からの温かい感想を拝見しても、どこかで
「本当に誰かのお役に立てるのか」
「たくさんの出版物の中のひとつでしかないのだ・・・」
と思うと、自分の力のなさを感じて落ち込むこともあったりました。
だけど、本に結ばれた水色のリボンを見たとき、
心の隅っこにあったそんな気持ちをスっと洗い流された感じがしました。
本当にありがとうね。
そして、キレイなラッピングを私に見せるために
わざわざ重たい荷物を運んできてくれたAさん・・・
Aさんのおかげで、こんなにしあわせな現実があったことを知ることができました。
本当にありがとう。
奇跡?偶然?必然?
昨日、私たちが闘病中に腫瘍科部長だった桜井先生(仮名)にお会いしました。
14年ぶりだったので、お会いできただけでも感無量!でしたが、
さらに、とてもびっくりするようなお話をお聞きしました。
それは、
「桜井先生」 と 「いのちの時間」 との 出会い方 がびっくりなんです!
それは、奇跡的?
偶然?
必然?
どんな言葉がふさわしいかわからないような不思議な出会いです。
それは5月のある日のこと・・・。
その日先生は、研修を受けるために神戸に向かう予定がありました。
長時間新幹線に乗ることを考えると、
「なにか本でも買っていこう!」と思い、近くの書店に立ち寄りました。
そこで
「なんとなくこの本が気になるなぁ・・・」
と思った一冊を手に取り、そのままお会計へ・・・。
新幹線に乗った先生は、早速、買った本を読み始めました。
そして、そのまましばらく読み続けて・・・
(ん?・・・おや?・・・・・えっえ~‼)
なんとそこには「桜井先生」という仮名のつけられた自分が登場していたのです!
そう!
桜井先生は、著者が私だということも、
渓太郎が主人公だということも知らないまま本を買っていたのです!
先生は書店に置かれた大量の本の中から、
自分の登場してくる本を偶然手にしていたのです。
いくら桜井先生という仮名が付けられていても気がつかないはずもありません。
ノンフィクションですから・・・(笑)
先生、驚いた顔をしておっしゃいました。
「なんか、とても気になったんです。
引き寄せられるように買っていました」
そうおっしゃったあと、ちょっと照れ笑いをしながら
「読みながら泣いてしまいました。
何度読んでも、涙がでてきて・・・」
と・・・。
そんな言葉を聞きながら、私は心の中で思いました。
(先生、もっとリアルに現場をみていたじゃないですかぁ(^^;))
そう言えば、何年か前に「あなたの尊敬する人は?」と聞かれた時に答えたのが
「桜井先生」でした。
そして、「その人のどこに惹かれますか?」と聞かたとき、
「深い愛情をもっていること、
誰からも学ぼうとする謙虚な姿勢、
高い使命感」
と答えたのを覚えています。
先生はいつまでもかわらないなぁ。
温かな先生の存在があったからこそ
私は過酷な闘病生活を幸せに過ごすことができたのだと改めて感じました。
原点
今日は「長野県立こども病院創立20周年記念式典」がありました。
私は、その中で行われた慰霊式に出席させていただきました。
行われた場所は、私がいつも渓太郎と一緒にお散歩をしていた病院の中庭。
私はよく、そこに置いてあるベンチに座りながら、渓太郎を正面に抱っこして話をしました。
「渓ちゃん。生きていてくれてありがとう。
渓ちゃんもお母さんもとっても幸せだね」
なつかしいベンチも当時と変わらないままそこにありました。
「なつかしいなぁ」
そんなことを思っていると、当時一緒に闘病をしていたMちゃんのお父様の姿が・・・。
私が、あわてて「こんにちは!」
と声をかけると
「あー!渓太郎くんのお母さん!ちょっと待ってて!」
と言ってどこかに行ったかと思うと、しばらくして、
かつて一緒に闘病していた何人かのお父さま、お母さまを連れて来てくれました。
それぞれ「こんにちは!」とごあいさつを交わしていると、
なぜか慰霊式に来るはずのないHちゃんのお母さまがいました。
不思議に思った私が、
「今日は、慰霊式にも参加されるんですか?」
と聞くと、そのお母さまが優しい声で言いました。
「Hね、あれから天国に行っちゃったんだよ。
渓太郎くんが亡くなってから半年後くらい・・・」
「あんなに元気だったのに・・・元気になったと思っていたのに・・・」と言ったまま、
あふれてくる涙を拭いていると
Hちゃんのお母さんは、私の肩をさすりながら、なつかしい話をしてくれました。
「中村さんは闘病中に妊婦さんだったでしょ。
大きなお腹をさすりながら、私に言ったこと覚えてる?
『この子(お腹の子)をかわいがると、渓太郎に申し訳ない気がして・・・。
どうしたらいいんだろう・・・』
って何度も何度も私に話してくれたのよ。
その時お腹にいた子もこんなに大きくなったんだね。
よかったね。本当に幸せだね」
と娘の方を指さしながら言いました。
同じ痛みを分かち合った仲間・・・
そのつながりの中には、語らずともわかりあえる思いがあって、
いつでもひたすらにお互いの幸せを願っているのだと知りました。
こども病院ができてから20周年です。
日々医療技術が進歩している中、
20年の間に425名の子どもたちが遠国へと旅立ちました。
私たちが、今生きている時間は、
425名の子どもたちが心から欲しかったのに、手にすることのできなかった時間。
その時間を生きている私は、
これからも、一緒に病気と闘った子どもたちが教えてくれたことや
当時、精一杯に乗り越えてきた試練を忘れることなく
一歩一歩、あるいていきたいと思いました。
「10周年記念」の慰霊祭の時、4歳と3歳だった娘と息子は

14歳と12歳になりました
がんばった・・・
「あっ・・・。昨日の夜、給食の用意するの忘れてた・・」
今朝、学校に行く寸前に息子が、昨日使ったお弁当箱とお箸を慌てて洗い始めた。
そして、それをかばんに入れることなく玄関に走っていった。

置きっぱなしのお弁当箱・・・。
それを見つけた私は
「あ・・・太郎(息子)・・・お弁当ば・・・」
途中まで言いかけたけど、グッとがまん・・・。
ここで手を貸すことはきっと太郎のためじゃない・・・。
(先生に注意されるかな・・・)
(どうやって給食食べるのかな・・・)
忘れ物についてはキビシイ学校・・・。
お昼の時間が過ぎるまでけっこう切なかった。
夕方、「ただいまぁ!」と帰ってきた息子に
「太郎、今日、給食どうした?」
「え?お母さん、忘れてたこと知ってたの?」
「うん。 わかってたけど、昨日のうちに用意しなかったのは太郎だから・・・。
わかっているのに言えないのは、けっこうきつかった」
「そっか・・・ごめんね」
大切な人の笑顔を見る時は、とっても幸せな気持ちになるけど
大切な人の辛そうな顔を見る時は、とってもつらい・・・。
そして、大切な人がつらい思いをするとわかっていて
あえてその経験をさせるのはさらにつらかった。
あの時言わない選択をした自分に・・・
『えらかった!』
今朝、学校に行く寸前に息子が、昨日使ったお弁当箱とお箸を慌てて洗い始めた。
そして、それをかばんに入れることなく玄関に走っていった。
置きっぱなしのお弁当箱・・・。
それを見つけた私は
「あ・・・太郎(息子)・・・お弁当ば・・・」
途中まで言いかけたけど、グッとがまん・・・。
ここで手を貸すことはきっと太郎のためじゃない・・・。
(先生に注意されるかな・・・)
(どうやって給食食べるのかな・・・)
忘れ物についてはキビシイ学校・・・。
お昼の時間が過ぎるまでけっこう切なかった。
夕方、「ただいまぁ!」と帰ってきた息子に
「太郎、今日、給食どうした?」
「え?お母さん、忘れてたこと知ってたの?」
「うん。 わかってたけど、昨日のうちに用意しなかったのは太郎だから・・・。
わかっているのに言えないのは、けっこうきつかった」
「そっか・・・ごめんね」
大切な人の笑顔を見る時は、とっても幸せな気持ちになるけど
大切な人の辛そうな顔を見る時は、とってもつらい・・・。
そして、大切な人がつらい思いをするとわかっていて
あえてその経験をさせるのはさらにつらかった。
あの時言わない選択をした自分に・・・
『えらかった!』
誕生日
今日は娘の14回目の誕生日
「今日は僕が料理をするよ!」と言い出した息子と一緒に、夕飯の準備中

私は息子の指示に従ってお手伝い(笑)
「今日はお姉ちゃんの好きなものだけ作ろうね!」と言って考えたメニューの中に
「煮いかときゅうりのあえもの」があって、思わず爆笑
あとは、たらこスパゲッティ―と、サラダを作らなくちゃ

「今日は僕が料理をするよ!」と言い出した息子と一緒に、夕飯の準備中

私は息子の指示に従ってお手伝い(笑)
「今日はお姉ちゃんの好きなものだけ作ろうね!」と言って考えたメニューの中に
「煮いかときゅうりのあえもの」があって、思わず爆笑

あとは、たらこスパゲッティ―と、サラダを作らなくちゃ

あれから十年・・・
先日、子ども病院からお手紙が届きました。
中に書かれていたのは、
25日に行われる「開院二十周年記念事業」の中の慰霊祭へのお誘いでした。
『もうあれから十年かぁ・・・』
私は「開院十周年記念」の時に行われた慰霊祭にも参加をさせていただいていました。
慰霊祭が行われた病院の中庭には、画用紙で作られた桜の木に、
天使になった子どもたちの名前が書かれた桜の花びらが一枚一枚貼られていました。

写真は、当時まだ4歳だった娘と3歳だった息子。
娘はこの写真のあと、私の膝にしがみつきながら、私の方を見上げてせがみました。
『ねえ、お兄ちゃんに会いたい・・・。ここにいるんでしょ。お兄ちゃんに会いたい』
そう言って、中庭から病院の廊下に飛び出すと、
渓太郎が入院をしていた病棟入り口の重い扉を一生懸命に開けようとしました。
「Kちゃん。お兄ちゃんはここにはいないよ」
「なんで?お兄ちゃんに会いたい」
4歳の子どもになんと説明したらいいのかわからず、私はそのままの気持ちを伝えました。
「お母さんもずっと会いたいと思ってきたの。
だけど、一度天国に行ったらもう会えないんだよ」
娘は納得のいかない顔をしていましたが、そのまま病棟の中に入るのをあきらめました。
私にとって胸の奥がチクッと痛くなる10年前の思い出です。
今日、病院から届いたお手紙を見ながら二人が言いました。
「25日は、部活をお休みして行くよ!」
渓太郎に会ったことも、一緒に遊んだ思い出もないふたりが
ごく自然に自分たちの兄弟なのだと思ってくれていることが
私の心をずっと支え続けてくています。
25日、たくさんの思い出の詰まった大切な場所に行ってきます。
中に書かれていたのは、
25日に行われる「開院二十周年記念事業」の中の慰霊祭へのお誘いでした。
『もうあれから十年かぁ・・・』
私は「開院十周年記念」の時に行われた慰霊祭にも参加をさせていただいていました。
慰霊祭が行われた病院の中庭には、画用紙で作られた桜の木に、
天使になった子どもたちの名前が書かれた桜の花びらが一枚一枚貼られていました。

写真は、当時まだ4歳だった娘と3歳だった息子。
娘はこの写真のあと、私の膝にしがみつきながら、私の方を見上げてせがみました。
『ねえ、お兄ちゃんに会いたい・・・。ここにいるんでしょ。お兄ちゃんに会いたい』
そう言って、中庭から病院の廊下に飛び出すと、
渓太郎が入院をしていた病棟入り口の重い扉を一生懸命に開けようとしました。
「Kちゃん。お兄ちゃんはここにはいないよ」
「なんで?お兄ちゃんに会いたい」
4歳の子どもになんと説明したらいいのかわからず、私はそのままの気持ちを伝えました。
「お母さんもずっと会いたいと思ってきたの。
だけど、一度天国に行ったらもう会えないんだよ」
娘は納得のいかない顔をしていましたが、そのまま病棟の中に入るのをあきらめました。
私にとって胸の奥がチクッと痛くなる10年前の思い出です。
今日、病院から届いたお手紙を見ながら二人が言いました。
「25日は、部活をお休みして行くよ!」
渓太郎に会ったことも、一緒に遊んだ思い出もないふたりが
ごく自然に自分たちの兄弟なのだと思ってくれていることが
私の心をずっと支え続けてくています。
25日、たくさんの思い出の詰まった大切な場所に行ってきます。
年子
先日第2子を出産された友人が、生まれて間もないお子さんを連れて家に来てくれました
小さな赤ちゃんはとってもかわいくて、
『うわぁ~!かわいい!!』と言うと、Aさんは
『かわいいよね!でも二人いると大変
みゆのうちの子は年子だからもっと大変だったでしょ?
どうしていたの?』
(ん・・・どうしていたっけ・・・?きっと大変だったのだろうけど・・・)
そう思いながら、自分でもどうしていたのか知りたくなってアルバムを開きました。
アルバムの中には、
公園で一緒に遊んでいる姿やプールで遊んでいる姿の写真が並んでいて
(そっか。ふたりで遊んでくれていたからあまり大変だと思わなかったのかぁ)
と思いながらページをめくっていると・・・
なんとそこには、弟を育てている娘の姿があちらこちらに!

お風呂上りに、弟に水を飲ませている娘

茶臼山動物園で弟にエサ・・・じゃなくて、おやつをあげている娘
よく考えてみると、ふたりの関係は今でも変わらない。
昨日、宿題をやっている弟の隣に、ふいに娘がやってきて、何冊かのノートを渡しながらつぶやいた。
「お姉ちゃんが去年まとめたやつだから、これ見ればすぐにわかるよ」
私は、きっと、ずっと助けられてきたんだなぁ。

小さな赤ちゃんはとってもかわいくて、
『うわぁ~!かわいい!!』と言うと、Aさんは
『かわいいよね!でも二人いると大変

みゆのうちの子は年子だからもっと大変だったでしょ?
どうしていたの?』
(ん・・・どうしていたっけ・・・?きっと大変だったのだろうけど・・・)
そう思いながら、自分でもどうしていたのか知りたくなってアルバムを開きました。
アルバムの中には、
公園で一緒に遊んでいる姿やプールで遊んでいる姿の写真が並んでいて
(そっか。ふたりで遊んでくれていたからあまり大変だと思わなかったのかぁ)
と思いながらページをめくっていると・・・
なんとそこには、弟を育てている娘の姿があちらこちらに!

お風呂上りに、弟に水を飲ませている娘

茶臼山動物園で弟にエサ・・・じゃなくて、おやつをあげている娘
よく考えてみると、ふたりの関係は今でも変わらない。
昨日、宿題をやっている弟の隣に、ふいに娘がやってきて、何冊かのノートを渡しながらつぶやいた。
「お姉ちゃんが去年まとめたやつだから、これ見ればすぐにわかるよ」
私は、きっと、ずっと助けられてきたんだなぁ。
長野大学にて授業・東京にてチャリティーセミナー
5月31日に長野大学にて授業を担当させていただきます。
長野大学で授業を持たせていただくのはこれで3年目。
授業は『家族が病気になったら』というテーマのもと、
私が息子と一緒に闘病をした実体験や、そこから学んだことをお話しさせていただきます。
2年前も昨年も、学生さんの前でお話をさせていただくことにとても大きな意味を感じました。
学生さんたちがこれから社会に出た時に、大きな壁にぶつかることもあるかもしれません。
人生の迷子になることもあるかもしれませんし、家族を見送る日がやってくることもあるでしょう。
そんなとき、過酷な状況の中でも前向きに生きるすべを教えてもらった私たち親子の闘病経験を
思い出してもらえたら、ほんの少しでもお役にたつことができるのではないかなと思うのです。
そして、翌6月1日にはコーチングアカデミー東京校にて
『東日本大震災チャリティーセミナー』の講師をさせていただきます。
( コーチングアカデミー東京校 ←こちらをクリックしていただくと詳細がご覧いただけます )
こちらも、「いのちのセミナー」というタイトルのもと、
私が息子と一緒に闘病をした実体験やそこから学んだことをお話しさせていただきます。
今回のチャリティーセミナーには特別な思いがあります。
それまで、ごく普通の当たり前生活をしていた私たちが、
渓太郎の発病を機に「当たり前」を失ってみて分かったこと・・・。
それは、それまで当たり前だと思っていたことが、本当はいかに幸せだったのかということでした。
震災により「当たり前の生活」を一瞬にして奪われてしまった方の中には、
きっと、私と同じ思いを持たれている方がいるのではないかと思うのです。
ですから、今回のチャリティーセミナーは、私たち親子からのメッセージと言うだけではなく、
同じ思いを持たれているであろう東北の方に代わってお伝えしたいという思いがあります。
それが、きっと今の私だからこそできることだから・・・。
貴重な機会を与えてくださった東京校の橋本校長に感謝です!
そして、先ほどようやく長野大学の授業とチャリティーセミナーの準備が完了しました!

長野大学で授業を持たせていただくのはこれで3年目。
授業は『家族が病気になったら』というテーマのもと、
私が息子と一緒に闘病をした実体験や、そこから学んだことをお話しさせていただきます。
2年前も昨年も、学生さんの前でお話をさせていただくことにとても大きな意味を感じました。
学生さんたちがこれから社会に出た時に、大きな壁にぶつかることもあるかもしれません。
人生の迷子になることもあるかもしれませんし、家族を見送る日がやってくることもあるでしょう。
そんなとき、過酷な状況の中でも前向きに生きるすべを教えてもらった私たち親子の闘病経験を
思い出してもらえたら、ほんの少しでもお役にたつことができるのではないかなと思うのです。
そして、翌6月1日にはコーチングアカデミー東京校にて
『東日本大震災チャリティーセミナー』の講師をさせていただきます。
( コーチングアカデミー東京校 ←こちらをクリックしていただくと詳細がご覧いただけます )
こちらも、「いのちのセミナー」というタイトルのもと、
私が息子と一緒に闘病をした実体験やそこから学んだことをお話しさせていただきます。
今回のチャリティーセミナーには特別な思いがあります。
それまで、ごく普通の当たり前生活をしていた私たちが、
渓太郎の発病を機に「当たり前」を失ってみて分かったこと・・・。
それは、それまで当たり前だと思っていたことが、本当はいかに幸せだったのかということでした。
震災により「当たり前の生活」を一瞬にして奪われてしまった方の中には、
きっと、私と同じ思いを持たれている方がいるのではないかと思うのです。
ですから、今回のチャリティーセミナーは、私たち親子からのメッセージと言うだけではなく、
同じ思いを持たれているであろう東北の方に代わってお伝えしたいという思いがあります。
それが、きっと今の私だからこそできることだから・・・。
貴重な機会を与えてくださった東京校の橋本校長に感謝です!
そして、先ほどようやく長野大学の授業とチャリティーセミナーの準備が完了しました!
うるっ・・・
昨日の夕飯はペペロンチーノ。
パスタなのに、2階にいてなかなか食卓に着かない子どもたちに向かって何度も叫ぶ私。
「ねー!スパゲッティのびちゃうから、早く来て~」
3回目でようやく返事が聞こえてきた。
「いま行く~」
そう声がしたと思ったら、バタバタバタとふたりそろって階段を下りてきた。
娘がニコニコとあやしげな笑顔を浮かべながら居間に入ってきたかと思うと、
続いて入ってきた息子はさらに怪しい笑顔。
(はぁ~、そっか。
さっき、雨の中、びちょびちょになりながらお友達の家から帰ってきたことに対する
ごきげんとりだなぁ)
そんなことを思いながら、私も負けずに怪しい笑顔を浮かべると、
息子が後ろ手に持っていたピンクの袋を差し出した。
「はい。お母さん」
(え?)
袋についているカードを見てやっと気づく私。
『お母さん ありがとう』
「そっか。母の日!
ありがとう!
もしかして、太郎くん(息子)お友達と買いに行ったの?」
「うん。友達3人で、平安堂の中の雑貨屋さんで買った」と息子。
そう言えば、娘も夕方、
「英語のノート終わっちゃったから買ってくる!」と言って出て行ったっけ・・・。
演技ではなくて、本気で気がついていなかった私が、ちょっとウルっとしながら中を開いてみると、
中からは、
「吸水速乾タオル」 と 「うさぎの形をしたクリップ」・・・
そして「美顔ローラ??」と思いきや、腕や太ももの用の「マッサージローラー」

私が、自分の腕に「マッサージローラー」をあててコロコロしてみると、
息子がちょっとびっくりした顔をして説明書を見ながらひとこと。
「あれ?これって小顔にするやつじゃなかったんだ!」
(やっぱ、君も「美顔ローラー」だと思っていたのね・・・。
ほおのたるみを気遣ってくれてありがとう!)
確かに、顔に当ててみたら、使えなくもない感じ・・・(笑)
そして、ローラーを顔に当てている私の横からは娘がひとこと。
「また、本、書くんでしょ!
だから私は、ウサギのクリップがいいと思ったんだ」
(うっ!ありがとう!すばらしきプレッシャー!)
「うれしいなぁ♡ あったかいなぁ♡」
そんなことを思いながら、すっかり伸びたペペロンティーノを食べていると、
一通のメールが・・・。
差出人は息子が遊びに行っていたOくんのお母さん。
中を開くとこんな内容が・・・。
『今日は遊びに来てくれたのに、ビチョビチョになってしまってごめんなさい。
家で遊んでいたはずだったのに気がついたらいなくなっていて、
「どこに行ったんだろう」と思っていたら、しばらくして、ビチョビチョになって帰ってきました。
きっと、うちの息子がふざけ過ぎたんだと思います。
気をつけるように言っておきますね』
Oさんはまだプレゼントもらっていないんだなぁ(^^)
きっと今晩、ビチョビチョの真相を知るのね♡
パスタなのに、2階にいてなかなか食卓に着かない子どもたちに向かって何度も叫ぶ私。
「ねー!スパゲッティのびちゃうから、早く来て~」
3回目でようやく返事が聞こえてきた。
「いま行く~」
そう声がしたと思ったら、バタバタバタとふたりそろって階段を下りてきた。
娘がニコニコとあやしげな笑顔を浮かべながら居間に入ってきたかと思うと、
続いて入ってきた息子はさらに怪しい笑顔。
(はぁ~、そっか。
さっき、雨の中、びちょびちょになりながらお友達の家から帰ってきたことに対する
ごきげんとりだなぁ)
そんなことを思いながら、私も負けずに怪しい笑顔を浮かべると、
息子が後ろ手に持っていたピンクの袋を差し出した。
「はい。お母さん」
(え?)
袋についているカードを見てやっと気づく私。
『お母さん ありがとう』
「そっか。母の日!
ありがとう!
もしかして、太郎くん(息子)お友達と買いに行ったの?」
「うん。友達3人で、平安堂の中の雑貨屋さんで買った」と息子。
そう言えば、娘も夕方、
「英語のノート終わっちゃったから買ってくる!」と言って出て行ったっけ・・・。
演技ではなくて、本気で気がついていなかった私が、ちょっとウルっとしながら中を開いてみると、
中からは、
「吸水速乾タオル」 と 「うさぎの形をしたクリップ」・・・
そして「美顔ローラ??」と思いきや、腕や太ももの用の「マッサージローラー」
私が、自分の腕に「マッサージローラー」をあててコロコロしてみると、
息子がちょっとびっくりした顔をして説明書を見ながらひとこと。
「あれ?これって小顔にするやつじゃなかったんだ!」
(やっぱ、君も「美顔ローラー」だと思っていたのね・・・。
ほおのたるみを気遣ってくれてありがとう!)
確かに、顔に当ててみたら、使えなくもない感じ・・・(笑)
そして、ローラーを顔に当てている私の横からは娘がひとこと。
「また、本、書くんでしょ!
だから私は、ウサギのクリップがいいと思ったんだ」
(うっ!ありがとう!すばらしきプレッシャー!)
「うれしいなぁ♡ あったかいなぁ♡」
そんなことを思いながら、すっかり伸びたペペロンティーノを食べていると、
一通のメールが・・・。
差出人は息子が遊びに行っていたOくんのお母さん。
中を開くとこんな内容が・・・。
『今日は遊びに来てくれたのに、ビチョビチョになってしまってごめんなさい。
家で遊んでいたはずだったのに気がついたらいなくなっていて、
「どこに行ったんだろう」と思っていたら、しばらくして、ビチョビチョになって帰ってきました。
きっと、うちの息子がふざけ過ぎたんだと思います。
気をつけるように言っておきますね』
Oさんはまだプレゼントもらっていないんだなぁ(^^)
きっと今晩、ビチョビチョの真相を知るのね♡
大切な人との関係・・・
周りを見渡すと、大切な人との関係に悩んでいる人は少なくありません。
その人が身近な人であればあるほど、
その悩みは深刻だったり、
許すことができなくなってしまったり・・・。
時には「わかり合う」ということをあきらめてしまうこともあったりします。
私の大切なクライアントさんの中にも、大切な人とも関係に悩む・・・
というより、半ばあきらめかけていた方がいます。
そして、その大切な人との関係が原因で、
自己肯定感が持ちにくくなってしまっていることも、
前を向きにくくなってしまうことも、ご自身でなんとなく気が付いていました。
そして、先月、クライアントさん自身が
「そのことについて、いつか真剣に向き合わなくてはいけない・・・。」
と思われていることが伺えました。
そこで私は
「もしよかったら、次回のセッションで大切な人との関係について向き合ってみませんか?」
と提案をしたところ、
迷った末「やってみます。」とおっしゃいました。
そのセッションが昨日です。
はじめは少し気が重そうだったクライアントさんに
私は少しずつ、少しずつ大切な人との関係に向き合うための質問をしていきました。
そして約2時間後・・・
セッション終了のときにクライアントさんはたくさんの涙を流しながらおっしゃいました。
「はじめて、本当に相手の立場に立つことができて、
相手の本当の気持ちがわかりました。
やっと気持ちが軽くなりました。」

そして、その日の夜に送ってくれたメールには
「これで、私は本当に自由になれたんだって思う。」
と・・・。
昨日を境に急に関係が変化したわけではありません。
大切な人が変わったわけでもありません。
でも、自分の視点がかわることや、相手がしてきた行動への解釈が変わることで
自分を苦しい状態から、幸せな状態に変えていくことができたりします。
「すべては自分しだい。」
本当だな・・・と思いました。
その人が身近な人であればあるほど、
その悩みは深刻だったり、
許すことができなくなってしまったり・・・。
時には「わかり合う」ということをあきらめてしまうこともあったりします。
私の大切なクライアントさんの中にも、大切な人とも関係に悩む・・・
というより、半ばあきらめかけていた方がいます。
そして、その大切な人との関係が原因で、
自己肯定感が持ちにくくなってしまっていることも、
前を向きにくくなってしまうことも、ご自身でなんとなく気が付いていました。
そして、先月、クライアントさん自身が
「そのことについて、いつか真剣に向き合わなくてはいけない・・・。」
と思われていることが伺えました。
そこで私は
「もしよかったら、次回のセッションで大切な人との関係について向き合ってみませんか?」
と提案をしたところ、
迷った末「やってみます。」とおっしゃいました。
そのセッションが昨日です。
はじめは少し気が重そうだったクライアントさんに
私は少しずつ、少しずつ大切な人との関係に向き合うための質問をしていきました。
そして約2時間後・・・
セッション終了のときにクライアントさんはたくさんの涙を流しながらおっしゃいました。
「はじめて、本当に相手の立場に立つことができて、
相手の本当の気持ちがわかりました。
やっと気持ちが軽くなりました。」
そして、その日の夜に送ってくれたメールには
「これで、私は本当に自由になれたんだって思う。」
と・・・。
昨日を境に急に関係が変化したわけではありません。
大切な人が変わったわけでもありません。
でも、自分の視点がかわることや、相手がしてきた行動への解釈が変わることで
自分を苦しい状態から、幸せな状態に変えていくことができたりします。
「すべては自分しだい。」
本当だな・・・と思いました。