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2012年11月29日

出版までの道のり・・・26

先ほど第8章が完成しましたface02

完成まであと残りわずかです。

んー・・・そう思うとやっぱりちょっとさみしいかな・・・。

では、第8章の一部をご紹介します。

***** 以下第8章からの抜粋です *****


・また・・・

 小さな鯉のぼりのおもちゃを飾った五月が過ぎ、六月には渓太郎は歩行器で自由に動き回れるようにもなりました。

そして、暑い夏を迎えた七月。

 五回目の治療の効果の確認を終えた桜井先生が私たちの病室にやってきました。

「失礼します」。

(あれ?・・・今回は佐藤先生じゃないんだ)。

いつも報告に来るはずの佐藤先生はそこにはいなくて、珍しく桜井先生が病室の入り口に立っていました。

「はい」。

私はベッドの上のおもちゃを片付けていた手を止めて、桜井先生の方に体を向けました。

すると先生は、私に向かって軽くお辞儀をすると、ベッドの上でお座りしながら、

ミニカーを不器用に走らせるようなしぐさをしている渓太郎にゆっくりと近づいて、ベッドの脇にしゃがみました。

ベッドの脇に先生がしゃがむと、頭の位置は渓太郎の方がずっと高くなり、

先生の顔は渓太郎のお腹くらいの高さになりました。

先生は低い位置から渓太郎を見上げるようにして、ニコニコと笑いながら言いました。

「渓太郎くん、こんにちは」。

お腹のあたりで声をかけられた渓太郎は、くすぐったかったのかケラケラと笑いながら、

遊んでいたミニカーを先生の顔の前に差し出しました。

その頃の渓太郎は、誰かに話しかけられると、いつでも手に持っているものを「はい」と貸してあげるようになっていました。

そして、そうすることで、どの人も、「ありがとう」と言って喜んでくれることを知っていました。

桜井先生もやはり「ありがとう」と言って嬉しそうに笑ってくれました。

「渓太郎くん、ありがとう。 貸してくれるの? この車かっこいいねぇ」。

渓太郎が片手で握るにはちょうどいいサイズのミニカーも、先生の手にはあまりにも小さくて、

先生は親指と人差し指でつまむようにしながらミニカーを動かしました。

お座りしている渓太郎のつま先からおしりの方にぐるっと半円を描くようにミニカーが走ります。

まだ自分では上手に走らせることができない渓太郎は、

(すごいなぁ!)というかのように瞬きもせずに自分の周りを走るミニカーを目で追いかけました。

そして、ミニカーがグルンとおしりの方に走って行ったとき、あまりにも夢中になりすぎた渓太郎は、

体をねじらせながら後ろにゴロンとひっくり返りました。

「おっとっと。渓太郎くん、ごめん、ごめん」。

先生が渓太郎の背中に手を当てて体を起こすと、渓太郎は

(ミニカーはどこ?)というように自分の体の周りをキョロキョロと見渡しました。

「渓太郎くん。ほら、ここにあったよ」。

先生が渓太郎のおしりのあたりに手を伸ばして、転がっていたミニカーを取ると、

「はい」と言って渓太郎に渡しました。

すると渓太郎はニコニコして、また先生の目の前にミニカーを差し出すと、今度は手を何度も上下させました。

渓太郎が手を上下させるしぐさは「やって!やって!」と言う意味です。

その時差し出したのは「貸してあげる」ではなくて「もう一回やって!」という意味でした。

そんな渓太郎の言いたいことも先生にはちゃんと伝わっていて、先生は

「もう一回だね」と言いながら、また渓太郎の足の先からおしりの方までぐるっと車を走らせました。

そして一回終わるごとに渓太郎は、自分のつま先あたりをトントンと叩いて「もう一回」「もう一回」とせがみ、先生がそれに答えます。

それが何回繰り返されたでしょう。しばらくすると先生は、渓太郎の頭を優しくなでながら言いました。

「渓太郎くん、また遊ぼうね」。

そして渓太郎の右手を取ると、小さな手のひらの上にミニカーをそっと乗せました。

それから先生はゆっくりと立ち上がると、ベッドの反対側に立っていた私に言いました。

「今日、ご主人は?」

渓太郎と遊んでいた時の先生の笑顔は消え、瞬時に真剣な表情に変わりました。

先生のそんな真剣な表情と、佐藤先生ではなくて桜井先生が病室にやってきたことが重なると、私はすぐに察しました。

(また渓太郎の状態が悪くなったんだ・・・)。

そう思いながらも、私は冷静に答えました。

「たぶん仕事が終わりしだい来ると思います」。

これまで幾度となく辛い宣告をされてきた私にとって、これから桜井先生に言われるだろうことは、

「つらい宣告のうちのひとつ」のように感じていました。

そんな私は、先生の問いかけに答えながら

「きっとまた心を打ちのめされるんだ」と自分に言い聞かせて、心を保つための事前準備をしました。

それは今まで何度も何度も心が削がれるたびに心の周りにできあがった、分厚いかさぶたを確認するような作業でした。

(大丈夫。 これまでだってしっかり受け止めてきたんだから・・・。 もう何を言われても怖いものなんてないよね・・・)。

そんな確認をしながら、私はテレビの上に置いてある時計を見ると、先生にもう一度言いました。

「いつも七時くらいには着くので・・・あと二時間くらいしたら来ると思います」。

「そうですか。

実は・・・渓太郎くんのことでお話があります。

今回はご主人とお母さんのおふたりに聞いていただきたいと思いますので、

ご主人が見えたら看護婦に声をかけてください」。

(・・・やっぱり・・・)。

その瞬間、かつて何度も感じた重苦しい空気が、先生と私の間に流れました。

 それは穏やかな口調で話しながらも眼差しだけはとても真剣な先生の表情と、

これから何を言われるのかがわかってしまう私の切ない気持ちが作り出す独特の空気でした。

私はそんな空気の中、先生にストレートに聞きました。

「がんが大きくなっていたんですか?」

そんな私に先生は、言葉を選びながらも濁すことなくはっきりと答えました。

「はい・・・。今回はちょっと厳しいことをお伝えしなくてはいけないと思います」。

「渓太郎の病気は治らないってことですか?」

「・・・厳しいです。一度は薬も効いたものの、渓太郎くんのがんは、もう薬への耐性ができてしまいました。

私たちもびっくりするくらいの早さです・・・。

私もこれほど進行が早いガンは今まで見たことがありません・・・」。

「でも、まだほかにも薬があるんですよね?

・・・私、渓太郎が生きてさえいてくれればいいんです。

だから、一パーセントでも可能性があるなら治療してください」。

「私も渓太郎くんに生きていてほしいです・・・。

でも、一パーセントの可能性もあるかどうか・・・」。

ほんのわずかな可能性でもいいから見せてほしくて、私は次から次へと先生にすがったり問い詰めたりしました。

そんな私に対して、先生はほんのわずかな可能性も見せてはくれませんでした。

でもその代りに先生は、その場にまっすぐに立ったまま、右手の甲を左手で覆いながら少しうつむいて、私の切ない問いかけを聞き続けました。

そんな先生の姿を見ていたら、私は自分の胸の中で渦を巻くように湧き出てくる切なさに

胸を締め付けられながらも、先生の胸の痛みが遠くの方から優しく優しく伝わってくる感じがして、

いつの間にか先生のことを必死でかばっていました。

(「あとで説明しますから」って言ってしまえばいいのに・・・。

「私だって助けたくても助けられない」って言ってしまえばいいのに・・・。

先生が悪いわけじゃないのに・・・)。

そんな優しさに包まれた切なさと、温かさに包まれた苦しさで私の胸の中はいっぱいになり、

あまりの複雑な思いに力が抜けるようなやりきれない気持ちになりました。

そして私は、それ以上先生に問いかけるのを止めました。

「先生・・・。わかりました。 主人が来たら連絡します」。

先生はまっすぐ立ったまま、最後に、

「お母さん、すみません・・・」と言って静かに頭を下げると、下を向いたまま病室を出ていきました。

私は白衣を着た先生の背中に向かって心の中で言いました。

「先生のせいじゃないのに・・・。 先生が悪いんじゃないのに・・・」。


先生がいなくなると、私は頭の中が空っぽになってしまったように、辛くもなく苦しくもなく、

フワフワとその場に浮いているような感覚に陥りました。

そしてしばらくすると、それまでずっと葛藤し続けてきた「どうしても渓太郎に生きていてほしい」という思いと、

「どうにもならない現実」に疲れ切ってしまったのか、私は自分の中身を消してしまいたいと思うようになりました。

「もういっそうのこと、ショックで気を失ってしまいたい・・・。

私の頭の中の記憶が全部消えて、渓太郎のことが分からない自分になってしまいたい・・・」。

 それは闘病以来はじめて「現実から逃げたい」と思った瞬間でした。


そんな中、しばらくすると仕事を終えた主人がやって来ました。

「ただいまぁ」。

そう言いながら静かに病室の扉を開けると、主人はいつものように笑顔で渓太郎に近寄り、

キャッキャと喜んでいる渓太郎を抱き上げて、顔をのぞき込みながら言いました。

「渓太郎、ただいま。 おりこうにしてたか?

渓太郎、今日も元気だな。 早く退院できるといいなぁ。 もう少しだぞぉ」。

渓太郎は「元気だよ」と答えるかのように、キャーキャー言いながら、

きれいにセットされた主人の髪をつかんで引っ張ったり、鼻をつかんだりしています。

主人はうれしそうに髪をぐちゃぐちゃにされながら「渓太郎」と呼びかけたり、

渓太郎の脇に手を入れて「高い、高い」をしたりしています。

治療の効果が現れてからの主人は、とにかく渓太郎と家で過ごせる日のことばかりを考えていたので、

私が現実から逃げようとしているなんてことにはまったく気がつきませんでした。

 そんな主人の姿を見ながら私は、

(早く言わなきゃ・・・。 ぬか喜びをさせたままじゃいけないな・・・)と思い、病室に来たばかりの主人に言いました。

「あのさぁ・・・」。

私が話かけても主人は、渓太郎と顔を合わせてニコニコしながら気のない返事をしました。

「ん?」

「あのさぁ、ちょっといい?」

「ん?」

私がいくら呼びかけてもこちらを向いてはくれず、気持ちは一心に渓太郎に向かっていました。

仕方なく私は、自分の声がほとんど届かない状態のまま主人に言いました。

「桜井先生が話があるって・・・。 パパが来たらふたりで面会室に来るようにって・・・」。

「え・・・」。

主人は一気に真顔になって、渓太郎をベッドの上に座らせながら聞いてきました。

「どういうこと?」

「がん、また大きくなったって・・・」。

「え・・・。 でも、また治療すれば治るんでしょ?」

「可能性はほとんどないって言ってた・・・。 一パーセントの可能性もないって・・・」。

そう言うと主人は、私の言葉を否定するかのようにベッドの脇にしゃがみ込んで、

お座りしている渓太郎の小さな肩を両手でつかみながら言いました。

「そんなことないよな! 渓太郎!

絶対よくなるよな! 大丈夫だよな!」

今まで聞いたことがないような主人の強い声にびっくりした渓太郎は、

(何が起こったんだ)というようにきょとんとしていました。

そんな渓太郎の肩をつかんだまま主人は、自分の両腕の間に頭を落とすと、グッと下を向いたままつぶやきました。

「大丈夫だよ。 おれは信じるよ。 大丈夫だよ・・・」。

そんな主人の姿を見ながら、私は心の中でつぶやきました。

(ごめんね・・・。 治してあげられなくて・・・本当にごめんね・・・。

私が生んだ子なのに・・・。 渓太郎の母親なのに・・・)。






Posted by なかみゆ/中村美幸 at 16:43 Comments( 0 ) ・出版

2012年11月22日

筑摩小学校にてPTA講演会

昨日、松本市筑摩小学校にてPTA講演会をさせていただきました。

テーマは
「幸せな人生の創り方」
~天使になった子ども達から教えてもらったこと~


昨日のブログ大切な場所にもアップしましたが、

筑摩小学校は私が1年生から4年生まで通った学校です。

当時の私は、同級生のお友達も、担任のO先生も、

木造の校舎も、長い通学路も、全部が大好きでした。

でも、父の急な転勤で、私は同級生や先生にろくに挨拶もできないまま

転校することになってしまったのです。

それから30年以上・・・ずっと

「筑摩小学校に行ってみたいな・・・」

と思い続けていました。

15年くらい前に一度見に行ったことがありましたが、

その時は昇降口がわからずに校庭だけ見て帰ってきました。

そんな気持ちを抱えたまま私はコーチングの講師になって、

学校のPTA講演会などで呼んでいただくようになりました。

そして、私はひとつの夢を持つようになりました。

「いつか筑摩小学校に行ってみたい・・・。

そして、そこにかつての同級生がいたらいいな・・・」。


そんな中、今年の春に筑摩小学校からの講演依頼のメールが届きました。

「あ!!筑摩小学校だ!」

依頼をしてくださったのはPTA会長さん。

会長さんのメールの中には

「佐久市の方から中村さんを紹介をしていただきました」との一文。

「そっか。どなたかが紹介してくれたんだなぁ・・・」

はじめはそんな風に思っていたのですが、講演会の打ち合わせをしているうちに

PTA会長さんと私はかつての同級生だということがわかったのです。

「えー!こんなことってあるの?」

とてもびっくりしました。

それを知った会長さんは、

2年生の時に校舎の前で撮ったなつかしい集合写真を2枚、メールで送ってくださいました。

白黒写真の中には、後ろの方に木造の校舎、

背の低かった(今もですが・・)私は一番前列に座っていて

会長さんは真ん中の列に立って写っていました。

そして、昨日の講演会の講師紹介では、

会長さんはその白黒写真をスクリーンに映して私を紹介してくださいました。

「これが私で、これが中村さんです」。

「30年たつとこんなおじさんになるんですね」の言葉に思わずクスッ。

そんな楽しい紹介をいただいてから講演会が始まりました。





昨日の講演会は保護者のみなさんと、5,6年生のみなさんも一緒に参加をしてくださいました。

普段45分授業をしている5,6年生にとって1時間以上の講演会は疲れるだろうな・・・

と思ったのですが、みなさん真剣にお話に耳を傾けてくださり、

途中メモをとっている生徒さんもいました。

保護者のみなさんも、途中涙されながら聞いてくださる方、うなづきながら聞いてくださる方もいて

私もとても幸せな気持ちで講師を務めさせていただきました。


私にとってとても大切な場所で

とても大切にしているお話をさせていただけたこと・・・

本当に幸せでした。



アシスタントに入ってくれたゆかちゃんありがとうございました。

そして・・・

今回このような機会を与えてくださいましたPTA会長さん、先生方・・・

参加をしてくださいました保護者の皆様、5,6、年生・・・

本当にありがとうございました。

















Posted by なかみゆ/中村美幸 at 10:11 Comments( 0 )

2012年11月21日

大切な場所

これから講演会だというのに…
まずい…涙が止まらない…。

今日の講演は私が一番来たかった場所…
講師になってからずっと「いつかはあの場所で…」と思い続けた場所…

私が1年生から4年生まで通った小学校。
大好きな学校だったのに父の急な転勤で「さよなら」の挨拶もできないまま転校した私。

さっき、ナビを見ながら学校の場所を確認しに行った時、
児童昇降口を見た瞬間に涙があふれてしまった。

そのまま車で昔通った通学路を通ったら、当時は広いと思っていた道は車がギリギリ通れるくらいの幅しかなくて、
「小さな私はこの道を1時間かけて学校に通っていたんだな…」と、小さな私をちょっと愛しく思えてきた。

今日の講演会のお話をいただいた時、会長さんがその小学校の卒業生だと知って
「実は私も通っていたんです」と言ったら
「でもプロフィールを見るとぼくよりひとつ下ですね」と会長さん。
「でも私1月生まれです。」
「え?もしかして…」

そんなやりとりがあって、会長さんと私はかつての同級生だということがわかった。
これから32年ぶりに同級生の会長さんとお会いします。

泣いちゃったら大変だなぁ…。
そのあと講演会だから…。

あと1時間後、筑摩小学校に入ります。


Posted by なかみゆ/中村美幸 at 13:05 Comments( 0 )

2012年11月16日

出版までの道のり・・・25

第7章が完成しましたface02

気が付いたら原稿用紙15枚以上書いていて

(あれ? いつの間に?)

先日、あわててプロデューサーさんに連絡icon10

「こんなに書いたつもりなかったんだけど、いつの間にか一つの章ができちゃいましたicon10

「よかったよ!ラッキーだねface02

(確かに・・・face01

そんなこんなで、第6章、7章が立て続けに完成しましたicon12

書きあがりまであと少し。

プロデューサーさんに

「あとはラストまで楽しみながら書きましょうface02

と言われ、嬉しいような淋しいような・・・でしたが、

最後にプロデューサーさん、こう付け加えました。

「美幸さんは「楽しみましょう」といっても頑張りすぎるから、そう言ってあげるくらいでちょうどいいんですよface02

客観的に見守ってくれる人がいるのは本当にありがたいことですicon12

では、第7章のご紹介です。
第7章は3回目の抗がん剤をはじめるところから始まります。

***** 以下は第7章からの抜粋です *****

・「先生、がん小さくなっているかな・・・」 


外泊から戻った二日後には三回目の治療が予定されていました。

私は、またすぐに治療が始まるのだと思うと病室に戻る気にならず、

治療までの二日間のほとんどを、渓太郎と一緒に中庭や廊下で過ごしまた。

ガラスで囲まれた狭い中庭には、

まとめて植えられたさつきが数本と、

二か所に置かれたベンチ、小人や動物の置物が所どころに飾られています。

私はその中から病室では見ることができないものを一つずつ選んで

渓太郎にいろいろなことを教えてあげました。

まだ花の咲かないさつきの、小さな葉っぱを一枚とって、

乳母車の中にいる渓太郎に見せながら言いました。

「渓ちゃん、小さな葉っぱだよ。これは緑色。ほら、触ってごらん」。

渓太郎の小さな手の平の上に葉っぱを乗せると、

渓太郎は宝物を手に入れたかのようにギュッと握って、私の方を見ながらニコニコと笑いました。

「渓ちゃん、ほら、これは枯れた葉っぱだよ。茶色だね」。

私が足元に落ちていた枯れた葉っぱをパキンと半分に折って、

渓太郎の頭の上からヒラヒラと落とすと、

渓太郎は上を見ながら「きゃ、きゃ」と言って手足をバタバタさせました。


抱っこをして大きなガラス扉に近づくと、渓太郎と私の全身が映りました。

私が、ガラスの中の渓太郎を指さして、

「ほら。渓ちゃんが映っているよ」と言うと、

渓太郎は不思議そうな顔をしてじっーっとガラスの中の自分を見つめました。

そんな渓太郎の右手をつかんでぶらぶらと揺らすと、

ガラスの中の右手も同じようにぶらぶらと動きました。

すると渓太郎は、(誰なんだ?)と言うかのように、

ちょっと怒った顔をしてガラスの方に手を伸ばすと、

ガラスの中の自分をバンバンと叩きました。

「渓ちゃん、渓ちゃん。そっと叩かないと割れちゃうよ」。

そんなことを言いながらガラスの中の渓太郎を見ていると、

ふと隣に映った自分の姿が目に入りました。

(あっ・・・この人が重い病気の子供を持ったお母さんか・・・)。

ガラスに映った私はとても小柄で、

力いっぱいガラスを叩く渓太郎の動きに身を取られながら、

落とさないように必死で渓太郎を抱っこしていました。

(こんなに小さな体で必死に子どもの病気と闘っているんだ・・・)。

もともとの小柄な体に、必死に闘病していることが重なると、

その姿があまりにも切なく見えて、私はガラスの中の自分に向かって言いました。

「よくがんばっているね。立派なお母さんだよ」。

それは闘病以来、初めて私が自分のことを思った瞬間でした。


穏やかに過ごした二日間が終わると、三回目の抗がん剤治療が始まりました。

三回目の治療は前回までのものより強い薬を投与したため、副作用も想像以上に大変でした。

激しく襲ってくる吐き気に、ひどい時には一時間の間に五回の嘔吐をしました。

でも、食事をしていない渓太郎の胃の中には吐くものはなにもなく、

ただ苦しそうに「ウ・・ウッ」と空気だけを吐き続けました。

そんな激しい吐き気はどんどんと渓太郎の体力を奪っていきました。

治療二日目には渓太郎は目を開ける力すらなくなって、

口を小さく開けたまま「ハァ、ハァ」と荒い息をして、

身動きひとつせずにぐったりと横たわっているだけになりました。


血色を失ったぽちゃぽちゃとした白いほっぺ・・・。

小さく開いたままの口・・・。

ほんの少しも動かないO脚に開いた脚や、短い腕・・・。

ピタッと閉じたままの小さな目・・・。

そして、唯一動いているのは、荒い呼吸に合わせて上下するポコッと膨らんだお腹だけでした。

(なんでこんなに苦しまなくちゃいけないんだろう・・・。

生まれたばかりの渓太郎が・・・何をしたわけでもないのに・・・

ただ純粋にこの世に生まれて、

これから大きくなっていこうと思っているだけなのに・・・)。

・・・私は自分の心の中に湧いてきた切なさに圧倒されて、

「渓ちゃん」と名前を呼ぶことさえできなくなりました。


そんな私は渓太郎の方を向きながら添い寝をして、

ただただやさしく頭をなで続けました。

気がつくと、添い寝をしている私の目からは、止まることなく涙が流れていました。

横を向いている私の涙は、ほおに流れることはなく、

私の目からこめかみを通って一滴ずつ枕に染み込んでいきました。

私はその涙をぬぐうこともなく、目をつぶることもなく、

ただただ渓太郎の顔を見つめながら、切なさと申し訳なさと、

どうすることもできないやりきれなさに、ひたすらに耐え続けるしかありませんでした。


そんな状態も二週間くらい過ぎると、

しだいに渓太郎はいつもの元気を取り戻してきました。

そして、渓太郎が充分に回復したころを見計らって三回目の治療効果を確認するためのCT撮影をしました。

CTやMRI撮影の時はいつも佐藤先生が渓太郎を迎えにきます。

「渓ちゃん、写真撮りに行くよー」。

先生は入ってくるなりベッドのわきに座って、

上を向いて寝ている渓太郎の顔を、上からぬーっとのぞき込みました。

すると渓太郎は「きゃー」と大喜びをして先生の顔に手を伸ばしました。

両腕をピンと伸ばして右手と左手を交互に上下させて先生の顔をバシバシと叩いています。

「わー!」

先生はギュッと目をつぶって渓太郎に叩かれるままになっています。

しばらくすると先生は、パッと顔をあげてニコッと笑うと、

人差し指で渓太郎の鼻をツン、ツン、ツンと三回つつきながら弾むような声で言いました。

「け・い・ちゃん!」

突然鼻をツンツンされた渓太郎は、はじめはポカンとしていましたが、

「ちゃん」にあわせた三回目のツンで、

「きゃ、きゃー」と大笑いを始めました。

そして渓太郎は、目の前にある先生の人差し指を両手で追いかけて、

右手で上手にキャッチしました。

「うわ~。捕まっちゃった~。放してくれ~」。

先生が人差し指をブルブルと左右に振ります。

先生のブルブルに振られて渓太郎の腕も左右にユラユラと動きます。

それがおもしろかったのか、渓太郎は興奮して体全体をくねらせて笑いしました。

「ぎゃー、きゃ、きゃっ。きゃー!」


私はそんな楽しそうな二人のようすを、

ベッドの反対側にあるイスに座ってニコニコしながら見ていました。

でも、そんな明るい表情とは裏腹に、

なぜか頭の中はボーっとしていて、なんとなく焦点があわないような、

二人の姿を見ているようで見ていないような不思議な状態でした。

すると私は、何かを考えていたわけでもないのに、

自分でも気がつかないうちにポツリとひとことつぶやいていました。

「がん・・・小さくなっているかなぁ・・・」。

すると、渓太郎と遊んでいた先生はパッと顔をあげて、

先生の指をつかんでいる渓太郎の右手をそっと外しながら、申し訳なさそうに言いました。

「小さくなっているといいですね・・・」。

「・・・うん・・・」。

私はボーっとしたまま返事をしたあとに、ハッと我に返りました。

(あ・・・なんか申し訳ないことを言ってしまった・・・)。

私はあわてて明るい声で言い直しました。

「そんなこと聞かれても、先生だって撮ってみないとわからないですよね!」

「うん。体の中だからね」。


今思えば、それはきっと、

私の心の中に隠していた本当の気持ちが、ほんのちょっと口に出てしまった瞬間でした。

(渓ちゃん、本当に治るのかな・・・)。

(渓ちゃんは死んじゃうのかもしれない・・・)。

そんな心の奥底に持っていた気持ちのかけらを、

佐藤先生にだけはポツリ、ポツリと出すことができたのです。

*****

(注)渓太郎以外の登場人物は仮名です。



Posted by なかみゆ/中村美幸 at 09:52 Comments( 0 ) ・出版

2012年11月15日

川中島小学校にてPTA講演会

今日、川中島小学校にてPTA講演会をさせていただきました。

テーマは
子育てコーチングセミナー
「その子らしさの芽を伸ばそう!」





川中島小学校は、役員をされている方の中にたまたま私の小学校時代の同級生がいたり、
保護者の方の中には友人がいたり、
先生方の中にも以前講演会を依頼してくださった先生がいたりと、
とてもご縁のある学校なので、今日の講演会をとても楽しみにしていました。

そんな気持ちから、学校到着予定時間よりも30分以上も早くついてしまったのですが、
早めに校長室を貸してくださり、校長先生や役員の方ととても楽しくお話をさせていただきました。
すると、そこに、かつての同級生や友人が顔を出してくれて、
とても和やかな気持ちで講演をスタートさせることができました。

参加された皆さんも、真剣に話に耳を傾けてくださったり、楽しくワークをやってくださったり・・・
温かい雰囲気の中でお話をさせていただきました。

今日は、貴重な機会を与えてくださいました先生方、役員の皆様
本当にありがとうございました。
そして、寒い中参加をしてくださいました保護者の皆様
本当にありがとうございました。

またお会いできる日を楽しみにしておりますicon12







Posted by なかみゆ/中村美幸 at 18:45 Comments( 0 ) ・講師風景

2012年11月14日

出版までの道のり・・・24

昨日ようやく第6章が完成しましたicon12

第6章は初めて外泊に向かう場面から始まります。

***** 以下、その一部のご紹介です *****


・冬から春へ

 久しぶりに見る広々とした景色の中を、

私は車の止めてある付添い家族専用駐車場に向かって歩きました。

家に帰れるのが二日間しかないと思うとほんのわずかな時間ももったいなくて、

私は病棟裏側にあるその駐車場までの道のりを、

右肩からは大きなバッグをかけて、左腕には渓太郎を抱っこして小走りで進みました。

春の風が吹いているせいなのか、私が小走りで進んでいるせいなのか、

病室では感じたことがないようなピリッとした新鮮な空気が、

私の顔から右の頬と左の頬に分かれて流れていきます。

「気持ちいいなぁ。 ねっ、渓ちゃん、お外気持ちいいねぇ」。

そう言いながら腕の中の渓太郎を見ると、

渓太郎は広々と解放された空間や少し強めの風に戸惑っているのか、

ニコリともせずに私の横っ腹にしがみついて、ちょっとソワソワしています。

「渓ちゃん、これからおうちに帰れるんだよ。 早くおうちに行こう!」

戸惑い気味の渓太郎に、私はわざと元気な声で言いながら一気に駆け出しました。

「それっ!」

私が走り出したのと同時に、渓太郎は私の腕の中で上下左右にゆさゆさと揺さぶられ、

それが楽しかったのか、渓太郎は急に元気になって

「キャ、キャ」と言って大喜びをしました。

そして、渓太郎が揺さぶられるのと同じように、

右肩からかけていたバッグもゆさゆさと揺さぶられ、私の右肩からズルッ、ズルッと外れてきました。

「うわ! バッグが落ちてきたぁ」。

落ちないように右肩をおもいっきりいかり肩にしてみても、

一度肩を外れたバッグは私が動くたびにズルズルっと落ちてきて、

ついにくの字に曲げたひじの部分にストンと落ちて止まりました。

「うわ! 重たーい」。

そんな叫び声に渓太郎は大喜びをしてバタバタと暴れます。

「うわ! 渓ちゃん、暴れちゃダメー!」

暴れて斜めになった渓太郎を抱き直すこともできずに、

私はどうにかわき腹の部分で横抱きにして荷物のように運びました。

「うー・・・。 車はどこー?」

バッグの重さと渓太郎の重さで、体の重心を下の方に持っていかれたままやっとの思いで歩くと、

しばらくして玄関裏の駐車場に着きました。

 「あー、やっと着いた。 確か車はこの奥の方だったよなぁ」。

広い駐車場の中をキョロキョロと見渡しながら、

私は靴の底を引きずるようにして奥の方へと進んでいきました。

「確かこの辺だったはずだけど・・・。 どこだっけー。 うー・・・もう限界」。

すぐに車が見つからなかった私は、くの字に曲げた右ひじをピンと伸ばし、

ぶら下がっていた荷物をアスファルトの上にドスンと落としました。

そして、急に軽くなった右腕で、横になっている渓太郎を抱き直しながら、

私は周りをキョロキョロと見渡しました。

(白い車、白い車。 私の白い車はどこだ?)

そんなことを思いながらキョロキョロしていると、

なんだか周りのようすが初めて病院に来た時と違っていることに気がつきました。

(あれ?雪は?
駐車場の脇に固まっていた雪はどこに行ったんだろう。 あんなにいっぱいあったのに・・・)。

しばらく頭の中がはっきりせずに周りを見渡していると、

空気がちょっとほこりっぽく乾燥していることに気がつきました。

(あ・・・そうか・・・。 私の知らない間に外は春になっていたんだ・・・)。

二か月間ずっと、雨が降ることもなく風が吹くこともなく、

暑くも寒くもない、いつでも適温に保たれた病室の中にいた私は、

いつの間にか季節が変化することすら忘れていたのです。そんな自分に私はとてもびっくりしました。

(うわー。 本当にこんなことってあるの? これじゃあなんだか浦島太郎みたいだ・・・)。

私の頭の中では真冬から一気に春になってしまった感じがしていて、

それはまるでタイムマシーンに乗ったような、空間移動をしたような、

今まで感じたことがない不思議な気持ちでした。

私はそんな不思議な気持ちのまま、一本ずつ指を折りながら四季を順番に数えてみました。

「春、夏、秋、冬・・・。 春、夏、秋、冬・・・。
冬にここに来たから、今は春かぁ。 そっかぁ、もう春かぁ。 今は春なんだぁ」。

そんなことをつぶやきながら、辺りのようすを確認しつつゆっくりと奥に進んでみると、

駐車場の一番奥に止まっている私の車を見つけました。

「あった、あった! 渓ちゃん、ブーブーあったよ」。

私は人差し指で車を差して渓太郎に場所を教えながら、駆け足で車に近づきました。

そして、自分の車を目の前にした瞬間、私はハッとしました。

(あー・・・本当にこんなにも時間がたったんだ・・・。 
あの日・・・。 あの日は確かに雪が降っていたよね・・・)。

目の前にある私の車には、二か月前初めて病院に来た時のようすと、

二か月間の時間の流れがはっきりと記録されていました。

車体の下の方には雪解け水がはねて付いた泥がそのままカサカサになってついていて、

車のボンネットにはうっすらと薄茶色の砂ぼこりがかぶっていました。

「あれから二か月がたったんだ・・・。 時間を忘れるくらい、ずっと必死になっていたもんね・・・」。

そう言いながら私はそんな二か月間を確かめるように、

ボンネットの上にかぶったザラザラとした砂ぼこりを人差し指で触りました。

すると、それを見ていた渓太郎も、私の腕から身を乗り出して、

一緒になってボンネットの上の砂ぼこりを触ろうとしました。

「あっ、渓ちゃん、お手て汚れちゃうよ。 ごめん、ごめん。 早くおうち行きたいよね」。

慌てて抱き直しながら渓太郎の方を見ると、

私の視界の端っこの方に、アスファルトの上に置き去りにされたままのバッグが小さく映りました。

「あ!渓ちゃん、荷物置きっぱなしにしてきちゃった!」

私は渓太郎を抱っこしたまま、駐車場の真ん中にポツンと放置されているバッグを取りに走りました。

「置いたまま行かなくてよかった!」

私はまたさっきと同じように右肩からバッグをかけて、

左腕に渓太郎を抱っこしながら車に戻りながら言いました。

「渓ちゃん、おうちに帰ろう!」

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Posted by なかみゆ/中村美幸 at 10:26 Comments( 0 ) ・出版

2012年11月14日

かりがね福祉会様コーチング研修

昨日(13日)、かりがね福祉会様にて第3回目のコーチング研修をさせていただきましたnpo02

はじめのの予定では、今回は「役割について」のお話をさせていただくことになっていましたが、

参加されているみなさんから

「もっとコミュニケ―ションについて学びたい」というご意見を多数いただきましたので

今回はテーマを

「役割について」 と 「コミュニケーションについて」 二つ設けて研修をさせていただきました。

やはり、参加されているみなさんのご意見を聞かせていただいて大正解!

とても盛り上がって楽しい研修会になりましたface02

そして、昨日も研修終了後、参加された皆さんと楽しくお話をさせていただいて

気が付いたら1時間以上も立ち話をしていましたicon12

また来月、おじゃまさせていただくのが今からとっても楽しみですface02


Posted by なかみゆ/中村美幸 at 01:57 Comments( 0 ) ・講師風景

2012年11月04日

出版までの道のり・・・23

「楽しく執筆活動ができたらいいなぁと思って・・・face02
そう言いながら友人が渡してくれたプレゼント



「うわー!!かわいいicon12
見ているだけで思わずニコニコしちゃう、このクリップface02

今日はこのクリップに救われたicon14

どうにも納得する文章が書けなくて・・・
久しぶりに
「ハァicon15」となっていたら、
原稿の左上でクリップたちが笑ってたface02

「が・ん・ば・り・す・ぎ・な・いface02
クリップたちが声をそろえて、そんなことを言っている気がして笑えてきたface02

確か・・・同じようなことをプロデューサーさんにも言われたきがするicon10

それを思い出したから、今日はこれで書くのはおしまいface01




Posted by なかみゆ/中村美幸 at 22:37 Comments( 0 ) ・出版

2012年11月02日

長野大学にて

今日、長野大学の「現代社会のわたしたち」(いのち)の授業にて
ゲストスピーチをさせていただきました。



テーマは

「天使になった子どもたちに教えてもらったこと」


おとといもスピーチをさせていただき、学生さんの吸収力の高さにびっくりしたのですが、
やはり、今日も私にとっては驚きの連続でした。

お話をさせていただいている最中に、
目が合うとニコッと笑ってくださる学生さんや、
「~ですよね?」の問いかけに小さくうなづきながら聞いてくれる学生さん。
それに・・・
涙をためながら聞いてくださる学生さんも何人かいらっしゃいました。

そして、感想を読ませていただくと、もう私の方が涙、涙です・・・。

「たった一時間半の間にこんなにもたくさんのことを得てくれたなんて・・・。
しかも、人生とか、生きるとか、そんな大きなテーマをこんなに真剣に考えてくれていたんだ・・・」。

しかも、しかも・・・

なんと、家に着くと、今日聞いてくださった学生さんからメールが・・・。
「時間がなくて感想シートにかきいれなかったので・・・」と・・・。

こうなれば、私はもう読んでいる最中に号泣ですicon11icon11

みなさんの前でお話をさせていただいて本当によかったなぁ。
こんな機会を与えてくださった教授に本当に感謝だなぁ・・・。

渓太郎の短かった一年四か月の人生が、
多くの人がより幸せになるためのきっかけになってくれたら本当にうれしいicon12

心がいっぱいになって、今はうまく言葉にできない感じですが、
私はおとといと今日の二日間で学生の皆さんからたくさんの感動をいただきました。

本当にありがとうございました!



Posted by なかみゆ/中村美幸 at 18:41 Comments( 0 ) ・講師風景

2012年11月02日

佐久市PTA連合会望月・浅科ブロック主催 講演会

昨日、佐久市PTA連合会望月・浅科ブロック主催の講演会で講師をさせていただきました。

テーマは

子育てコーチングセミナー
「その子らしさの芽を伸ばそう!」




講演前は校長室をお借りして、校長先生やPTA会長さんとお話をさせていただいたのですが、
そのお話がとても楽しくて、講演前から私の気持ちは大きく盛り上がっていました。

そんな盛り上がった気持ちのまま講演をさせていただいたのですが、
参加された方もとても和気あいあいとしていて、
楽しそうにワークをされる姿に
ますます私の気持ちは盛り上がりました。

「なんだか・・・みなさん、とっても温かくて素敵な方ばかりだなぁ」
そんなことを思いながらお話をさせていただきました。

今回講演をさせていただいた佐久市は私が生まれた場所です。
懐かしい記憶がたくさん残っている場所でもあります。
そんな佐久市で講演をさせていただけたこと、
すてきなみなさんにお会いできたことが本当に幸せでした。

このような貴重な機会を与えてくださいました先生方、役員のみなさま、
本当にありがとうございました。






Posted by なかみゆ/中村美幸 at 17:51 Comments( 0 ) ・講師風景

2012年11月01日

長野大学にて

昨日、長野大学の「現代社会の私たち」の授業で講師をさせていただきました。

お話しさせていただいたのは

幸せな人生の創り方」
~天使になった子どもたちから教えてもらったこと~


私は子どもを亡くしたことのある母親という立場から、
当時経験したこと、
それによって学んだこと、気が付いたこと
をお話しさせていただきました。


長野大学で授業をさせていただくのは昨年に引き続きこれで2回目です。
昨年も学生さんたちがとても真剣にお話を聞いてくださったのを覚えていたので、
昨日も、長野大学のみなさんにお会いできることをとても楽しみにしていました。

そんなわくわくする気持ちを抱えながら、
授業の時間になるまで、近くの公園に車を止めて内容の確認をしていました。

外はとっても気持ちのいい青空が広がっていました。



「うわー!なんだか気持ちがいいなぁicon01
ますますワクワクが高まりましたicon12


そんなワクワクする気持ちのまま授業に入ると、
やはり!みなさん、真剣!

そんな中、スクリーンに渓太郎の映像が映ると、
何人かの学生さんの顔がニコッと笑顔になって
「かわいい!」と言っているのがわかりました。



授業が終わって、ふと、自分が学生だったときのことを思い出しました。

(・・・自分が学生だったとき、こんなに真剣に授業を聞いていたっけ・・・icon11

その後、感想シートも拝見させていただきましたが、
驚くほど吸収してくださっていて、本当にびっくりしました。

今までの人生を振り返って、もう一度生き方を考え直したいと思った・・・とか、
人生に対する考え方が全く違うものになった・・・
という感想がとてもたくさんありました。

私の方が皆さんの感想から学ばせてていただく思いです。

そして・・・

実は、急きょ明日も、長野大学の授業と担当させていただけることになりました!

また、学生さんたちにお会いできるかと思うと、本当にうれしいです!

このような貴重な機会を与えて下さった教授には心から感謝申し上げます。
ありがとうございました!









Posted by なかみゆ/中村美幸 at 01:04 Comments( 0 ) ・講師風景