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2012年11月29日

出版までの道のり・・・26

先ほど第8章が完成しましたface02

完成まであと残りわずかです。

んー・・・そう思うとやっぱりちょっとさみしいかな・・・。

では、第8章の一部をご紹介します。

***** 以下第8章からの抜粋です *****


・また・・・

 小さな鯉のぼりのおもちゃを飾った五月が過ぎ、六月には渓太郎は歩行器で自由に動き回れるようにもなりました。

そして、暑い夏を迎えた七月。

 五回目の治療の効果の確認を終えた桜井先生が私たちの病室にやってきました。

「失礼します」。

(あれ?・・・今回は佐藤先生じゃないんだ)。

いつも報告に来るはずの佐藤先生はそこにはいなくて、珍しく桜井先生が病室の入り口に立っていました。

「はい」。

私はベッドの上のおもちゃを片付けていた手を止めて、桜井先生の方に体を向けました。

すると先生は、私に向かって軽くお辞儀をすると、ベッドの上でお座りしながら、

ミニカーを不器用に走らせるようなしぐさをしている渓太郎にゆっくりと近づいて、ベッドの脇にしゃがみました。

ベッドの脇に先生がしゃがむと、頭の位置は渓太郎の方がずっと高くなり、

先生の顔は渓太郎のお腹くらいの高さになりました。

先生は低い位置から渓太郎を見上げるようにして、ニコニコと笑いながら言いました。

「渓太郎くん、こんにちは」。

お腹のあたりで声をかけられた渓太郎は、くすぐったかったのかケラケラと笑いながら、

遊んでいたミニカーを先生の顔の前に差し出しました。

その頃の渓太郎は、誰かに話しかけられると、いつでも手に持っているものを「はい」と貸してあげるようになっていました。

そして、そうすることで、どの人も、「ありがとう」と言って喜んでくれることを知っていました。

桜井先生もやはり「ありがとう」と言って嬉しそうに笑ってくれました。

「渓太郎くん、ありがとう。 貸してくれるの? この車かっこいいねぇ」。

渓太郎が片手で握るにはちょうどいいサイズのミニカーも、先生の手にはあまりにも小さくて、

先生は親指と人差し指でつまむようにしながらミニカーを動かしました。

お座りしている渓太郎のつま先からおしりの方にぐるっと半円を描くようにミニカーが走ります。

まだ自分では上手に走らせることができない渓太郎は、

(すごいなぁ!)というかのように瞬きもせずに自分の周りを走るミニカーを目で追いかけました。

そして、ミニカーがグルンとおしりの方に走って行ったとき、あまりにも夢中になりすぎた渓太郎は、

体をねじらせながら後ろにゴロンとひっくり返りました。

「おっとっと。渓太郎くん、ごめん、ごめん」。

先生が渓太郎の背中に手を当てて体を起こすと、渓太郎は

(ミニカーはどこ?)というように自分の体の周りをキョロキョロと見渡しました。

「渓太郎くん。ほら、ここにあったよ」。

先生が渓太郎のおしりのあたりに手を伸ばして、転がっていたミニカーを取ると、

「はい」と言って渓太郎に渡しました。

すると渓太郎はニコニコして、また先生の目の前にミニカーを差し出すと、今度は手を何度も上下させました。

渓太郎が手を上下させるしぐさは「やって!やって!」と言う意味です。

その時差し出したのは「貸してあげる」ではなくて「もう一回やって!」という意味でした。

そんな渓太郎の言いたいことも先生にはちゃんと伝わっていて、先生は

「もう一回だね」と言いながら、また渓太郎の足の先からおしりの方までぐるっと車を走らせました。

そして一回終わるごとに渓太郎は、自分のつま先あたりをトントンと叩いて「もう一回」「もう一回」とせがみ、先生がそれに答えます。

それが何回繰り返されたでしょう。しばらくすると先生は、渓太郎の頭を優しくなでながら言いました。

「渓太郎くん、また遊ぼうね」。

そして渓太郎の右手を取ると、小さな手のひらの上にミニカーをそっと乗せました。

それから先生はゆっくりと立ち上がると、ベッドの反対側に立っていた私に言いました。

「今日、ご主人は?」

渓太郎と遊んでいた時の先生の笑顔は消え、瞬時に真剣な表情に変わりました。

先生のそんな真剣な表情と、佐藤先生ではなくて桜井先生が病室にやってきたことが重なると、私はすぐに察しました。

(また渓太郎の状態が悪くなったんだ・・・)。

そう思いながらも、私は冷静に答えました。

「たぶん仕事が終わりしだい来ると思います」。

これまで幾度となく辛い宣告をされてきた私にとって、これから桜井先生に言われるだろうことは、

「つらい宣告のうちのひとつ」のように感じていました。

そんな私は、先生の問いかけに答えながら

「きっとまた心を打ちのめされるんだ」と自分に言い聞かせて、心を保つための事前準備をしました。

それは今まで何度も何度も心が削がれるたびに心の周りにできあがった、分厚いかさぶたを確認するような作業でした。

(大丈夫。 これまでだってしっかり受け止めてきたんだから・・・。 もう何を言われても怖いものなんてないよね・・・)。

そんな確認をしながら、私はテレビの上に置いてある時計を見ると、先生にもう一度言いました。

「いつも七時くらいには着くので・・・あと二時間くらいしたら来ると思います」。

「そうですか。

実は・・・渓太郎くんのことでお話があります。

今回はご主人とお母さんのおふたりに聞いていただきたいと思いますので、

ご主人が見えたら看護婦に声をかけてください」。

(・・・やっぱり・・・)。

その瞬間、かつて何度も感じた重苦しい空気が、先生と私の間に流れました。

 それは穏やかな口調で話しながらも眼差しだけはとても真剣な先生の表情と、

これから何を言われるのかがわかってしまう私の切ない気持ちが作り出す独特の空気でした。

私はそんな空気の中、先生にストレートに聞きました。

「がんが大きくなっていたんですか?」

そんな私に先生は、言葉を選びながらも濁すことなくはっきりと答えました。

「はい・・・。今回はちょっと厳しいことをお伝えしなくてはいけないと思います」。

「渓太郎の病気は治らないってことですか?」

「・・・厳しいです。一度は薬も効いたものの、渓太郎くんのがんは、もう薬への耐性ができてしまいました。

私たちもびっくりするくらいの早さです・・・。

私もこれほど進行が早いガンは今まで見たことがありません・・・」。

「でも、まだほかにも薬があるんですよね?

・・・私、渓太郎が生きてさえいてくれればいいんです。

だから、一パーセントでも可能性があるなら治療してください」。

「私も渓太郎くんに生きていてほしいです・・・。

でも、一パーセントの可能性もあるかどうか・・・」。

ほんのわずかな可能性でもいいから見せてほしくて、私は次から次へと先生にすがったり問い詰めたりしました。

そんな私に対して、先生はほんのわずかな可能性も見せてはくれませんでした。

でもその代りに先生は、その場にまっすぐに立ったまま、右手の甲を左手で覆いながら少しうつむいて、私の切ない問いかけを聞き続けました。

そんな先生の姿を見ていたら、私は自分の胸の中で渦を巻くように湧き出てくる切なさに

胸を締め付けられながらも、先生の胸の痛みが遠くの方から優しく優しく伝わってくる感じがして、

いつの間にか先生のことを必死でかばっていました。

(「あとで説明しますから」って言ってしまえばいいのに・・・。

「私だって助けたくても助けられない」って言ってしまえばいいのに・・・。

先生が悪いわけじゃないのに・・・)。

そんな優しさに包まれた切なさと、温かさに包まれた苦しさで私の胸の中はいっぱいになり、

あまりの複雑な思いに力が抜けるようなやりきれない気持ちになりました。

そして私は、それ以上先生に問いかけるのを止めました。

「先生・・・。わかりました。 主人が来たら連絡します」。

先生はまっすぐ立ったまま、最後に、

「お母さん、すみません・・・」と言って静かに頭を下げると、下を向いたまま病室を出ていきました。

私は白衣を着た先生の背中に向かって心の中で言いました。

「先生のせいじゃないのに・・・。 先生が悪いんじゃないのに・・・」。


先生がいなくなると、私は頭の中が空っぽになってしまったように、辛くもなく苦しくもなく、

フワフワとその場に浮いているような感覚に陥りました。

そしてしばらくすると、それまでずっと葛藤し続けてきた「どうしても渓太郎に生きていてほしい」という思いと、

「どうにもならない現実」に疲れ切ってしまったのか、私は自分の中身を消してしまいたいと思うようになりました。

「もういっそうのこと、ショックで気を失ってしまいたい・・・。

私の頭の中の記憶が全部消えて、渓太郎のことが分からない自分になってしまいたい・・・」。

 それは闘病以来はじめて「現実から逃げたい」と思った瞬間でした。


そんな中、しばらくすると仕事を終えた主人がやって来ました。

「ただいまぁ」。

そう言いながら静かに病室の扉を開けると、主人はいつものように笑顔で渓太郎に近寄り、

キャッキャと喜んでいる渓太郎を抱き上げて、顔をのぞき込みながら言いました。

「渓太郎、ただいま。 おりこうにしてたか?

渓太郎、今日も元気だな。 早く退院できるといいなぁ。 もう少しだぞぉ」。

渓太郎は「元気だよ」と答えるかのように、キャーキャー言いながら、

きれいにセットされた主人の髪をつかんで引っ張ったり、鼻をつかんだりしています。

主人はうれしそうに髪をぐちゃぐちゃにされながら「渓太郎」と呼びかけたり、

渓太郎の脇に手を入れて「高い、高い」をしたりしています。

治療の効果が現れてからの主人は、とにかく渓太郎と家で過ごせる日のことばかりを考えていたので、

私が現実から逃げようとしているなんてことにはまったく気がつきませんでした。

 そんな主人の姿を見ながら私は、

(早く言わなきゃ・・・。 ぬか喜びをさせたままじゃいけないな・・・)と思い、病室に来たばかりの主人に言いました。

「あのさぁ・・・」。

私が話かけても主人は、渓太郎と顔を合わせてニコニコしながら気のない返事をしました。

「ん?」

「あのさぁ、ちょっといい?」

「ん?」

私がいくら呼びかけてもこちらを向いてはくれず、気持ちは一心に渓太郎に向かっていました。

仕方なく私は、自分の声がほとんど届かない状態のまま主人に言いました。

「桜井先生が話があるって・・・。 パパが来たらふたりで面会室に来るようにって・・・」。

「え・・・」。

主人は一気に真顔になって、渓太郎をベッドの上に座らせながら聞いてきました。

「どういうこと?」

「がん、また大きくなったって・・・」。

「え・・・。 でも、また治療すれば治るんでしょ?」

「可能性はほとんどないって言ってた・・・。 一パーセントの可能性もないって・・・」。

そう言うと主人は、私の言葉を否定するかのようにベッドの脇にしゃがみ込んで、

お座りしている渓太郎の小さな肩を両手でつかみながら言いました。

「そんなことないよな! 渓太郎!

絶対よくなるよな! 大丈夫だよな!」

今まで聞いたことがないような主人の強い声にびっくりした渓太郎は、

(何が起こったんだ)というようにきょとんとしていました。

そんな渓太郎の肩をつかんだまま主人は、自分の両腕の間に頭を落とすと、グッと下を向いたままつぶやきました。

「大丈夫だよ。 おれは信じるよ。 大丈夫だよ・・・」。

そんな主人の姿を見ながら、私は心の中でつぶやきました。

(ごめんね・・・。 治してあげられなくて・・・本当にごめんね・・・。

私が生んだ子なのに・・・。 渓太郎の母親なのに・・・)。





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Posted by なかみゆ/中村美幸 at 16:43│Comments(0)・出版
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