2012年08月19日
15年分のありがとう
渓太郎の付添いをしていた15年前、同室で私と同じように付添いをしていたKさんというお母さんがいました。
入院が始まったのは同時期くらいだったのですが、Kさんのお子さんは長期の入院ではなかったので、1週間くらい一緒に過ごしただけで、Kさん親子は退院していきました。
退院してからは、Kさんは私に何通も何通もお手紙をくれて励まし続けてくれました。
渓太郎が亡くなってからは、12月25日の命日になれば毎年渓太郎に向けたクリスマスプレゼントが届きました。
私はずっと不思議でした。
たった1週間しか一緒にいなかったに、どうしてこんなにも親身になってくれるのだろうと・・・。
お手紙にはいつも「渓太郎くんにたくさんのことを教えてもらいました。」とも書かれていました。
そのKさんと、わけあって今日15年ぶりの再会をしたんです。
びっくりするくらいに15年のブランクを感じることなく、ずっと会っていた友達のように・・・というか親戚のようにすべてが伝わる感じがしました。
そして、渓太郎の話をした時、ほんのちょっと話しただけで涙をながされるKさんの姿を見ていて、私はやっと気が付きました。
同室の仲間を残して退院をしていくことがどれほどつらかったのかと・・・。
私は現実と向き合いながら、何年かかけて悲しみを乗り越えてきたけど、
想像しかできないKさんは、きっと私とは違った悲しみをずっと抱えてきていたのだと・・・。
だけど、確かに、同じ場所で同じものを見たり聞いたり、経験したりしてきた人にしかわからない、
見えない絆みたいなものがあって、
ピッタリと同じ場所で共感しあえることに絆の深さを感じました。
私のことを見えないところからずっと支えてきてくれたKさんに
今日は、15年分の「ありがとう」がやっと言えました。
入院が始まったのは同時期くらいだったのですが、Kさんのお子さんは長期の入院ではなかったので、1週間くらい一緒に過ごしただけで、Kさん親子は退院していきました。
退院してからは、Kさんは私に何通も何通もお手紙をくれて励まし続けてくれました。
渓太郎が亡くなってからは、12月25日の命日になれば毎年渓太郎に向けたクリスマスプレゼントが届きました。
私はずっと不思議でした。
たった1週間しか一緒にいなかったに、どうしてこんなにも親身になってくれるのだろうと・・・。
お手紙にはいつも「渓太郎くんにたくさんのことを教えてもらいました。」とも書かれていました。
そのKさんと、わけあって今日15年ぶりの再会をしたんです。
びっくりするくらいに15年のブランクを感じることなく、ずっと会っていた友達のように・・・というか親戚のようにすべてが伝わる感じがしました。
そして、渓太郎の話をした時、ほんのちょっと話しただけで涙をながされるKさんの姿を見ていて、私はやっと気が付きました。
同室の仲間を残して退院をしていくことがどれほどつらかったのかと・・・。
私は現実と向き合いながら、何年かかけて悲しみを乗り越えてきたけど、
想像しかできないKさんは、きっと私とは違った悲しみをずっと抱えてきていたのだと・・・。
だけど、確かに、同じ場所で同じものを見たり聞いたり、経験したりしてきた人にしかわからない、
見えない絆みたいなものがあって、
ピッタリと同じ場所で共感しあえることに絆の深さを感じました。
私のことを見えないところからずっと支えてきてくれたKさんに
今日は、15年分の「ありがとう」がやっと言えました。
Posted by なかみゆ/中村美幸 at 22:52│Comments(0)