第9章が完成しました
多くの方からいただいていた質問が、
「何章まで続くの?」
そのたびに私は
「んー・・・たぶん10くらいかなぁ」と答えていたのですが、
その通りになりました。
あと一つの章で書きあがりです。
今までは、とにかく前ばかりを見ていた私ですが、
ここまで来てやっと、これまでを振り返る余裕ができました。
7月に賭けのような気持ちで送った企画書・・・。
数分後にプロデューサーさんから頂いた「採用します」の連絡。
「でもこの先、出版会社さんが採用してくれなければ本にはならないのだ」とわかっていても、
それだけで一気に舞い上がるような気持ちになったこと・・・。
その後、出版会社さんからも「採用」の連絡をいただいた時には
ありえないような奇跡続きに、
自分の身に何が起こっているのかわからないような状態にもなりました。
そんな私にプロデューサーさんも出版会社さんも同じ言葉を掛けてくださいました。
「なぜかわからないけど、自分がサポートしなきゃいけないような気持ちになった」と・・・。
それから5か月。
あとわずかで原稿が完成です。
では、完成一歩手前の9章からの抜粋をご紹介します。
***** 以下、9章からの抜粋です *****
「第九章 渓太郎との日々」
・一歳の誕生日
八月十二日、延命の治療を続けた渓太郎は一歳の誕生日を迎えました。
その日の朝、先に目が覚めた私は、隣で寝ている渓太郎の頭をなでながらそっとつぶやきました。
「渓ちゃん。
はじめてのお誕生日、おめでとう」。
そう言うと、心の奥から静かに続きの言葉が流れてきました。
(・・・でも・・・きっと最後のお誕生日・・・)。
それまでは、そんな言葉が浮かぶたびに胸を切り裂かれるような思いをしていましたが、
「覚悟」の塊を胸の真ん中に置いたまま渓太郎のそばで生きようと決めてからは、
自分の心の中から湧いてくる言葉と必死に戦うようなことはなくなり、
剣のような気持ちで自分の心を傷つけるようなことも少なくなりました。
渓太郎がいなくなる覚悟ができたわけではありませんでしたが、
「いつまでも生きていてほしい」という変わらない思いを持ちながらも、
一日一日、一時間一時間・・・一分、一秒を渓太郎と一緒に幸せに生きたいと思うようになったからだと思います。
もしかしたらそれは、
「そうしたい」というよりも、幾度となくどうにもならない現実を見せつけられたことで、
そうするしかなかったのかもしれません。
でも・・・その時から私の心は、周りにできた分厚いかさぶたがゆっくり剥がれ落ちていくかのように、
静かで穏やかな状態になりました。
(渓太郎の命はあとわずかだと言われていても、今、こうして生きていてくれる・・・。
辛いことも切ないこともたくさんあるけど・・・でも、今、こうして一緒に生きていられる・・・)。
そう思えてからの私は本当に幸せでした。
渓太郎の辛そうな姿を見れば、切なくて苦しくて、
そのやり切れなさに何度も何度も渓太郎に「ごめんね」と謝ったこともありましたが、
それ以外の時は、渓太郎がちょっとニコッとしただけで胸の中でクラッカーが弾けるくらいに楽しい気持ちになりました。
抱っこした時に渓太郎のほわんとしたにおいをかぐだけで、
この上ない幸せに心の底からホカホカと温かい気持ちが湧いてきました。
渓太郎の機嫌が悪くて泣き続けた時でさえ、
「渓ちゃん、どうしたの?」と声をかけながら涙をぬぐってあげられることが幸せで幸せでたまりませんでした。
そして、渓太郎の柔らかい胸で「トクッ、トクッ」と打つ鼓動を感じられると、
心の底から湧いてくる感謝の気持ちでいっぱいになりました。
そしてその頃から私は、夜になると眠っている渓太郎の胸の上に手を当てて、
鼓動の一回一回を数えながら、心の中で「ありがとう、ありがとう」と言って
幸せに包まれながら眠りにつくようになっていました。
そんな中で迎えた誕生日は、私にとって渓太郎に「おめでとう」というよりも、
「これまで生きていてくれてありがとう」と言いたい気持ちでした。
私はその日の朝、まだ渓太郎が眠っている間に、育児日記に渓太郎への感謝の手紙を書きました。
八月十二日
大変な思いをしながら一生懸命がんばってくれたね。
本当にありがとう。
生きていてくれてありがとう。
渓太郎はそんなに小さな体で、お父さんやお母さん、じいちゃん、ばあちゃん、
先生や看護婦さんにたくさんのことを教えてくれました。
生きることの素晴らしさ、命の大切さ、優しさや人間のすごさ・・・。
渓太郎が笑顔を見せてくれた時はお父さん、お母さんの至福の時です。
八月十二日はお父さん、お母さんにとって一番大切で、一番好きな日です。
渓太郎はたくさんの人から愛情を受けて育っています。
病気になってしまったけど、とても幸せな子なんだということをわかってください。
そして、お父さんとお母さんは誰よりも幸せな親です。
渓太郎が私たちの子どもとして生まれて来てくれたから・・・。
これからもずっと一緒に生きていこうね。
お父さんとお母さんは渓太郎のためならなんでもするからね。
お母さんより
この日記をちょううど書き終えた時に、病室の入り口からカサカサという音が聞こえてきました。
「ん?」と思いながら扉の方を見ると、扉のガラスの向こうにニコニコ笑った母が立っていました。
その嬉しそうな笑顔から、今にも、
「渓太郎の誕生日のお祝いにきたよー!」という声が聞こえてきそうです。
そんな母は、私の腕の中に渓太郎がいないことがわかると、
扉の向こうで目を大きく見開きながら鼻の下を伸ばして、ガラスに顔を近づけてベッドの上の渓太郎をのぞき込みました。
そして、「なるほど」というように二回うなずくと、右のほほの下で両手を斜めに合わせてネンネのポーズをしました。
私も「そうだよ」と答えるように、おもいっきりの笑顔を作って二回うなずくと、
母は静かに扉を開けて、足音を立てないようにかかとからつま先にゆっくり体重移動させながら、
サイドテーブルの前に座っている私のところに歩いてきました。
そしてまた鼻の下を伸ばしながら布団の中の渓太郎をのぞき込むと、ヒソヒソと小さな声で言いました。
「渓ちゃんまだネンネしてるね。
ちょっと早すぎちゃったかなー」。
私も母に合わせて小さな声で答えました。
「大丈夫。きっともうすぐ起きるよ。
それより、今日、渓ちゃんお誕生日だね」。
「渓ちゃんももう一歳なんだね。
よかったね・・・お誕生日迎えられて・・・」。
「うん」。
「渓ちゃんにあげるプレゼントは何がいいかなぁってずっと考えていたんだけど、
ケーキも食べられないし、おもちゃもそんなにたくさんいらないし、
いろいろ考えて、服がいいかなーと思って、ばあちゃん、渓太郎の服作ってきたよ」。
そう言って母は足元に置かれた紙袋の中に手を入れると、カサカサ音がするのを気にしながら、
緑色の生地にかわいい恐竜のイラストが描かれた布で作ったブラウスを引っ張り出しました。
そしてブラウスを布団の上に広げると、肩の部分をつまみながら渓太郎の顔に向かってスーッと滑らせて、
寝ている渓太郎の肩の位置に合わせてブラウスを置きました。
桃太郎のような男の子っぽい顔をした渓太郎に、深い緑色がとってもよく似合っていて、
私は思わず大きな声で言いました。
「うわー!渓ちゃんお似合い!」
すると母は慌てて口の前で人差し指を立てながら
「シーッ」と言って、また紙袋の中に手を入れました。
そして今度は中から同じ布で作ったオーバーオールを引っ張り出しました。
それを見た瞬間、さらに大きな声が出そうになった私は、口を両手で押さえて小さな声で言いました。
「うわー!すごーい!」
そんな私の目の前で、母はニコニコしながらオーバーオールの肩ひもの部分をつまむと、
さっき置いた上着の肩の部分に肩ひもを合わせて置きました。
すると、深緑色のブラウスとオーバーオールを着た渓太郎が完成しました。
「わー!上下おそろいの服、かっこいいねぇ!」
それまでパジャマを着ているところばかり見ていた私は、
渓太郎が赤ちゃんから一気にちびっこに成長したように見えてとてもびっくりしました。
大喜びしてはしゃいでいる私の隣で、母はちょっと照れた顔をしながら言いました。
「どんな布がいいか迷ったんだけどさぁ。ばぁちゃんのセンスだとこんな感じになっちゃってねぇ。
気に入らないかもしれないけど、一回でも二回でも渓太郎に着せてやって」。
そんな母の言葉を聞きながら私は心の中で、
(本当は「どんな色がいいのかなぁ」とか、「どんな形がいいかなぁ」とか一生懸命考えながら作ってくれたクセに・・・)
と思いながらも、渓太郎のことを想う母の気持ちに胸の奥をポカポカと温められながら言いました。
「なんで?かわいいよ!
渓ちゃん一歳になったんだなぁって感じがするよ。
ありがとう!
今度外泊するときに、これを着せてあげるね」。
しばらくすると渓太郎が目を覚まして、周りをキョロキョロしながら私を探し出しました。
そして、横を向いた瞬間に母の姿を見つけると、(あ!ばぁちゃんだ!)と言うかのように大喜びをして、
キャーキャー言いながら布団の中で手足をバタバタさせました。
すると母はふざけて、顔の横で爪を立てた怪獣のように手を開きながら、ガラガラ声で言いました。
「渓ちゃん、ばあちゃんだぞぉぉー」。
そんな母の声に渓太郎はさらに興奮してギャーギャー言いながら、
布団の中から思いっきりバンザイをして母に抱っこをせがみます。
「怪獣なのに抱っこして欲しいんだね」と私が言うと、母は
「だって、ばぁちゃんだもんねぇ」と言いながら渓太郎を抱き上げました。
すると渓太郎は嬉しくそうにニコニコしながら両腕で母の首元にしがみついて、足を曲げたり伸ばしたりしました。
「おー、渓ちゃん、渓ちゃん」。
渓太郎の激しい動きによろよろしながら、母は首元にしがみついている渓太郎の腕を引っ張って、
渓太郎の顔を自分の顔の前まで持ってくると、おでことおでこをくっつけながら言いました。
「渓ちゃん、今日はお誕生日だねぇ!
おめでとう。
今日で一歳だよ!」
そう言うと、母は渓太郎の顔の前で人差し指をピンと立てました。
すると渓太郎はキャハハキャハハと笑いながら、人差し指を右手で握り、自分の方にグイッと引っ張りました。
「ワー!渓ちゃん、やめて、やめて。「一」だよ。「一」!」
と言いながら、母は渓太郎の手の中から人差し指を抜き取り、
「渓ちゃん、一歳!」と言いながら、渓太郎の右手を取りました。
そして右手の親指を折ると、人差し指だけ残して、中指、薬指、小指と順番に折っていって、
小さく丸まった渓太郎の手を、母は自分の手で包み込みました。
すると、小さな人差し指だけがピンと立ち、かわいい「一」ができあがりました。
自分の手で「一」が作れた渓太郎は、とっても満足そうにニコニコして、ピンと立った小さな人差し指を見つめます。
母の手で包み込まれたお団子のような手の中から、プクプクとした小さな指が一本・・・。
そのあまりのかわいさに、私は胸がキューっと締め付けられる感じがしました。
(渓ちゃん、かわいい・・・)。
そして、ピンと立った小さな小さな人差し指を見つめていたら、いつの間にか私は心の中で小さくつぶやいていました。
(そこから指が一本ずつ増えていってくれたらいいのに・・・。
来年の今日、「二」を作れたらいいのに・・・)。
母と私で代わるがわる抱っこしながら、渓太郎の手で「一」を作る練習をしていると、勢いよく病室の扉が開きました。
「え?」と思って入り口を見ると、そこには大きな白いビニール袋を持った主人が立っていました。
袋の口をワシ掴みにして、まるでこれからゴミ出しに行くかのような姿に、私は思わず吹き出しそうになりましたが、
(中身はきっとプレゼントだ!)と思った私は、袋のことは聞かずに、
「仕事どうしたの?」と聞きました。
すると、主人は弾むような声で言いました。
「今日は渓太郎のバースデー休暇!」
「えー!
子どもが誕生日だと、会社はお休みくれるんだぁ!
すごいなぁ!」
何の疑いもなく、主人の言葉を真に受けた私はとてもびっくりしました。
すると隣にいた母も私の言葉に反応し、目を大きく開きながら言いました。
「すごい会社だねー!
子どものお誕生日にお休みをくれるなんて・・・。
子どもがたくさんいる人はお休みいっぱいあっていいねぇ!」
「えっ・・・えー?」
ほんの冗談で言ったつもりだった主人は、私だけでなく母にも真に受けられてしまったことに少し困った顔をして、
「冗談だよ、冗談。
有休だよ」。
と受け流すように言うと、母に抱かれている渓太郎のところに行って顔を近づけながら言いました。
「今日は渓太郎のお誕生日だから有休もらってきたんだよ。
渓太郎、お誕生日おめでとう!」
そう言うと主人は持っていたビニール袋を足元に置いて、両方の手のひらを上に向けて、
渓太郎の前に差し出しながら言いました。
「渓太郎、おいで」。
すると渓太郎は、母の胸の中で体をねじって、両腕を主人の方に伸ばしました。
「よーし、よし」と言いながら抱き上げると、主人は腕の中の渓太郎に向かって嬉しそうに言いました。
「渓太郎、一歳だなぁ。
なんか急に大きくなったきがするなぁ」。
そんな主人の話し声を聞きながらも、私の視線と気持ちは、足元に放置されたままの白い大きな袋に集中していました。
(あの袋の大きさだと・・・きっとお願いしておいた車を買ってきてくれたんだな。
ちゃんと渓太郎が乗れるのを選んでくれたかなぁ。
早く渓太郎に見せてあげればいいのに・・・)。
そう思っても、いつまでたっても袋は放置されたままで、主人は渓太郎に話しかけたり「高い、高い」をしたりしています。
そして、肩車をしようとして渓太郎を頭の上まで持ち上げた時、しびれを切らした私が言いました。
「ねぇ、プレゼントあげたら?」
「あ、そうだ!忘れてた!
渓太郎!
お誕生日のプレゼント買ってきんだぁ」。
そう言うと主人は渓太郎をベッドに座らせて、床に置かれた白い袋を渓太郎の前に置きました。
渓太郎は目の前に登場した大きな袋に(これはなんだ?)と言うように、真顔で袋をバンバンと叩きました。
ガサガサと音がたつのがおもしろかったのか、渓太郎はキャーキャー言いながら袋を叩き続けました。
そんな渓太郎の姿を見て、私はからかうように主人に言いました。
「中身よりビニールの方がいいみたいだよ」。
すると主人は
「なんだぁ・・・プレゼントはビニールの袋で良かったのかぁ」と言いながらベッドの脇に座って、
一緒に袋を叩きながら言いました。
「渓太郎!この中にいいものが入っているぞぉー」。
そう言うと、渓太郎の顔に自分の顔を近づけて、今度はちょっと意地悪そうに言いました。
「見たい?」
渓太郎はキャッキャと言いって笑ながら目の前の主人の顔を叩きます。
「痛てて」と言って、目をパチパチ閉じながら、主人はもう一度聞きました。
「渓太郎。この中、見たい?」
そう言うと主人は、笑っている渓太郎の右手を持って、腕を高く上げながら渓太郎の代わりに言いました。
「はーい!」
そして主人は
「そっか、そっか。渓太郎見たいかぁ。じゃあ見せてあげるね」
と一人芝居をして、ようやく袋の中身を取り出しました。
「ほぉーら、渓太郎のブーブーだよ!」
白い袋の中からは、真っ赤な本体に緑色のシート、前面にはニコニコと笑ったミッキーマウスの人形がついた子ども用の車が出てきました。
大きくてカラフルな車の登場に、渓太郎は興奮してギャーギャー言いながら今度は車をバンバン叩き出しました。
ずっと渓太郎にあげたかった車が目の前に現れて、私も興奮しながら言いました。
「うっわー!
渓ちゃんのブーブーだぁ!
すごい!すごい!
ねぇ、乗せてみようよ!」
「そうだな!」と言いながら主人は車を床の上に降ろし、渓太郎に言いました。
「渓太郎、乗ってみるか!」
そう言って、渓太郎を抱き上げると、緑色のシートの上に渓太郎をまたがせました。
すると、渓太郎は自分からちゃんとハンドルを持って、右、左、右、左と交互にハンドルを動かしました。
背筋をぴんと伸ばして両足をしっかり床に着けると、ニコニコしながら自慢げに、
周りにいるパパと母と私の顔を順番に見ました。
たくましい姿で車に乗っている渓太郎は、自分の成長ぶりをみんなに披露しているかのようでした。
小さくパチパチと拍手をしながら、
「渓ちゃん、すごい!すごい!」と言っている母の隣で、
私は久しぶりに子どもの成長を楽しみにしているお母さんに戻ることができました。
(渓太郎・・・いつの間にかこんなに大きくなっていたんだね・・・)。
そのあまりに凛々しく立っている姿から、今にも渓太郎の大きな声が聞こえてきそうでした。
「ぼく、こんなに大きくなったんだよ!
ぼく、大丈夫だからね!」
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