出版までの道のり・・・25
第7章が完成しました
気が付いたら原稿用紙15枚以上書いていて
(あれ? いつの間に?)
先日、あわててプロデューサーさんに連絡
「こんなに書いたつもりなかったんだけど、いつの間にか一つの章ができちゃいました」
「よかったよ!ラッキーだね」
(確かに・・・)
そんなこんなで、第6章、7章が立て続けに完成しました
書きあがりまであと少し。
プロデューサーさんに
「あとはラストまで楽しみながら書きましょう」
と言われ、嬉しいような淋しいような・・・でしたが、
最後にプロデューサーさん、こう付け加えました。
「美幸さんは「楽しみましょう」といっても頑張りすぎるから、そう言ってあげるくらいでちょうどいいんですよ」
客観的に見守ってくれる人がいるのは本当にありがたいことです
では、第7章のご紹介です。
第7章は3回目の抗がん剤をはじめるところから始まります。
***** 以下は第7章からの抜粋です *****
・「先生、がん小さくなっているかな・・・」
外泊から戻った二日後には三回目の治療が予定されていました。
私は、またすぐに治療が始まるのだと思うと病室に戻る気にならず、
治療までの二日間のほとんどを、渓太郎と一緒に中庭や廊下で過ごしまた。
ガラスで囲まれた狭い中庭には、
まとめて植えられたさつきが数本と、
二か所に置かれたベンチ、小人や動物の置物が所どころに飾られています。
私はその中から病室では見ることができないものを一つずつ選んで
渓太郎にいろいろなことを教えてあげました。
まだ花の咲かないさつきの、小さな葉っぱを一枚とって、
乳母車の中にいる渓太郎に見せながら言いました。
「渓ちゃん、小さな葉っぱだよ。これは緑色。ほら、触ってごらん」。
渓太郎の小さな手の平の上に葉っぱを乗せると、
渓太郎は宝物を手に入れたかのようにギュッと握って、私の方を見ながらニコニコと笑いました。
「渓ちゃん、ほら、これは枯れた葉っぱだよ。茶色だね」。
私が足元に落ちていた枯れた葉っぱをパキンと半分に折って、
渓太郎の頭の上からヒラヒラと落とすと、
渓太郎は上を見ながら「きゃ、きゃ」と言って手足をバタバタさせました。
抱っこをして大きなガラス扉に近づくと、渓太郎と私の全身が映りました。
私が、ガラスの中の渓太郎を指さして、
「ほら。渓ちゃんが映っているよ」と言うと、
渓太郎は不思議そうな顔をしてじっーっとガラスの中の自分を見つめました。
そんな渓太郎の右手をつかんでぶらぶらと揺らすと、
ガラスの中の右手も同じようにぶらぶらと動きました。
すると渓太郎は、(誰なんだ?)と言うかのように、
ちょっと怒った顔をしてガラスの方に手を伸ばすと、
ガラスの中の自分をバンバンと叩きました。
「渓ちゃん、渓ちゃん。そっと叩かないと割れちゃうよ」。
そんなことを言いながらガラスの中の渓太郎を見ていると、
ふと隣に映った自分の姿が目に入りました。
(あっ・・・この人が重い病気の子供を持ったお母さんか・・・)。
ガラスに映った私はとても小柄で、
力いっぱいガラスを叩く渓太郎の動きに身を取られながら、
落とさないように必死で渓太郎を抱っこしていました。
(こんなに小さな体で必死に子どもの病気と闘っているんだ・・・)。
もともとの小柄な体に、必死に闘病していることが重なると、
その姿があまりにも切なく見えて、私はガラスの中の自分に向かって言いました。
「よくがんばっているね。立派なお母さんだよ」。
それは闘病以来、初めて私が自分のことを思った瞬間でした。
穏やかに過ごした二日間が終わると、三回目の抗がん剤治療が始まりました。
三回目の治療は前回までのものより強い薬を投与したため、副作用も想像以上に大変でした。
激しく襲ってくる吐き気に、ひどい時には一時間の間に五回の嘔吐をしました。
でも、食事をしていない渓太郎の胃の中には吐くものはなにもなく、
ただ苦しそうに「ウ・・ウッ」と空気だけを吐き続けました。
そんな激しい吐き気はどんどんと渓太郎の体力を奪っていきました。
治療二日目には渓太郎は目を開ける力すらなくなって、
口を小さく開けたまま「ハァ、ハァ」と荒い息をして、
身動きひとつせずにぐったりと横たわっているだけになりました。
血色を失ったぽちゃぽちゃとした白いほっぺ・・・。
小さく開いたままの口・・・。
ほんの少しも動かないO脚に開いた脚や、短い腕・・・。
ピタッと閉じたままの小さな目・・・。
そして、唯一動いているのは、荒い呼吸に合わせて上下するポコッと膨らんだお腹だけでした。
(なんでこんなに苦しまなくちゃいけないんだろう・・・。
生まれたばかりの渓太郎が・・・何をしたわけでもないのに・・・
ただ純粋にこの世に生まれて、
これから大きくなっていこうと思っているだけなのに・・・)。
・・・私は自分の心の中に湧いてきた切なさに圧倒されて、
「渓ちゃん」と名前を呼ぶことさえできなくなりました。
そんな私は渓太郎の方を向きながら添い寝をして、
ただただやさしく頭をなで続けました。
気がつくと、添い寝をしている私の目からは、止まることなく涙が流れていました。
横を向いている私の涙は、ほおに流れることはなく、
私の目からこめかみを通って一滴ずつ枕に染み込んでいきました。
私はその涙をぬぐうこともなく、目をつぶることもなく、
ただただ渓太郎の顔を見つめながら、切なさと申し訳なさと、
どうすることもできないやりきれなさに、ひたすらに耐え続けるしかありませんでした。
そんな状態も二週間くらい過ぎると、
しだいに渓太郎はいつもの元気を取り戻してきました。
そして、渓太郎が充分に回復したころを見計らって三回目の治療効果を確認するためのCT撮影をしました。
CTやMRI撮影の時はいつも佐藤先生が渓太郎を迎えにきます。
「渓ちゃん、写真撮りに行くよー」。
先生は入ってくるなりベッドのわきに座って、
上を向いて寝ている渓太郎の顔を、上からぬーっとのぞき込みました。
すると渓太郎は「きゃー」と大喜びをして先生の顔に手を伸ばしました。
両腕をピンと伸ばして右手と左手を交互に上下させて先生の顔をバシバシと叩いています。
「わー!」
先生はギュッと目をつぶって渓太郎に叩かれるままになっています。
しばらくすると先生は、パッと顔をあげてニコッと笑うと、
人差し指で渓太郎の鼻をツン、ツン、ツンと三回つつきながら弾むような声で言いました。
「け・い・ちゃん!」
突然鼻をツンツンされた渓太郎は、はじめはポカンとしていましたが、
「ちゃん」にあわせた三回目のツンで、
「きゃ、きゃー」と大笑いを始めました。
そして渓太郎は、目の前にある先生の人差し指を両手で追いかけて、
右手で上手にキャッチしました。
「うわ~。捕まっちゃった~。放してくれ~」。
先生が人差し指をブルブルと左右に振ります。
先生のブルブルに振られて渓太郎の腕も左右にユラユラと動きます。
それがおもしろかったのか、渓太郎は興奮して体全体をくねらせて笑いしました。
「ぎゃー、きゃ、きゃっ。きゃー!」
私はそんな楽しそうな二人のようすを、
ベッドの反対側にあるイスに座ってニコニコしながら見ていました。
でも、そんな明るい表情とは裏腹に、
なぜか頭の中はボーっとしていて、なんとなく焦点があわないような、
二人の姿を見ているようで見ていないような不思議な状態でした。
すると私は、何かを考えていたわけでもないのに、
自分でも気がつかないうちにポツリとひとことつぶやいていました。
「がん・・・小さくなっているかなぁ・・・」。
すると、渓太郎と遊んでいた先生はパッと顔をあげて、
先生の指をつかんでいる渓太郎の右手をそっと外しながら、申し訳なさそうに言いました。
「小さくなっているといいですね・・・」。
「・・・うん・・・」。
私はボーっとしたまま返事をしたあとに、ハッと我に返りました。
(あ・・・なんか申し訳ないことを言ってしまった・・・)。
私はあわてて明るい声で言い直しました。
「そんなこと聞かれても、先生だって撮ってみないとわからないですよね!」
「うん。体の中だからね」。
今思えば、それはきっと、
私の心の中に隠していた本当の気持ちが、ほんのちょっと口に出てしまった瞬間でした。
(渓ちゃん、本当に治るのかな・・・)。
(渓ちゃんは死んじゃうのかもしれない・・・)。
そんな心の奥底に持っていた気持ちのかけらを、
佐藤先生にだけはポツリ、ポツリと出すことができたのです。
*****
(注)渓太郎以外の登場人物は仮名です。
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