出版までの道のり・・・21
第4章が完成しました
闘病生活が始まったシーンが書かれている第4章の一部を抜粋してご紹介します。
*** 第4章からの抜粋 ***
『かわいい前歯』
入院してからしばらくは、ほぼ毎日、なにかしらの検査や、病状の説明、
これからの治療についての話し合いがありました。
そんな状況の中にいると、私の頭の中のほとんどが病気のことに占領されていて、
私の意識はいつでも渓太郎のお腹の中の、ミクロのがん細胞と戦っていました。
(どうしたらやっつけられるんだろう・・・)。
でもいくらそんなことを考えてみても、医師でない私は、
現実にがん細胞をやっつける手段は何ひとつとして持ち合わせていません。
そんな何もできない自分に苛立った時は、
頭の中でがん細胞をメッタ切りにしているところを想像しました。
剣を持ったミクロの私が、渓太郎の体の中で無数のがん細胞と戦っている・・・。
でも、倒しても倒しても、そこらじゅうに敵がいて、手当たりしだいに剣を振り回している私・・・。
(いくら戦ってもきりがない・・・)。
私は想像の中で一度も勝利のバンザイをしたことがありませんでした。
(この戦いはいつまで続くんだろう・・・。
それに、これだけ頑張っても勝てるかどうかわからない戦いなんだ・・・)
そんなことばかりを考えていたある日のことです。
私がトイレに行こうと思って病室を出ようとすると、渓太郎は私の後を追って
「ギャー、ギャー」と大泣きを始めました。
「渓ちゃん、すぐ帰ってくるから・・」となだめてみましたが、
そんなことで納得するはずもありません。
何しろ自分は約一か月間、ずっと同じ病室に閉じ込められたままです。
私ひとりが扉の向こうの未知の世界に行くのを許せるはずもありません。
でも、そうは言っても、私の用事はトイレです。
行かないわけにはいかないので、
私はまたベッドに戻って少しだけ渓太郎をあやすことにしました。
「よし、よし」。
抱っこをして、背中をトントンします。
でも、頭の中で「トイレ、トイレ」と思いながらするトントンは、きっとどこかセカセカしていて、
いつものゆったりとしたトントンではなかったのでしょう。
渓太郎は「行かせるまい!」というかのように大きな声で
「ギャー、ギャー」と叫び続けました。
困った私は、トントンをやめ、
(もうどうしよう・・・)と、私の肩の上にあった渓太郎の顔をのぞき込みました。
すると、渓太郎の口の中に何か白いものがあるのが見えました。
「え!何?渓ちゃん、何食べたの?」
こうなるとトイレどころではありません。
私は慌てて渓太郎を向い合せに座らせて、泣いている渓太郎の口の中をのぞきました。
すると、下の歯茎の前の部分にうっすらと白い線。
「うわぁ!渓ちゃん歯が生えてきた!」
つるつるとしたピンク色の歯茎からわずかに顔をのぞかせたかわいい乳歯。
私は嬉しくて嬉しくて、渓太郎の脇に両手を入れて、胴上げみたいに高く持ち上げました。
「わーい!わーい!渓ちゃん、歯が出てきた!」
渓太郎は泣き顔から一転、
「きゃ、きゃ」と言って喜びました。
それは、私にとって久しぶりの感動でした。
それまで、病気のことばかり考えていて、すっかり「病気と闘う母」になっていた私が、
何か月ぶりかに「子育て中の母」に戻れた瞬間でした。
我が子の成長を楽しみにしている普通のお母さん・・・。
(そう。私は、お母さんだったんだよね・・・)
久しぶりに「渓太郎のお母さん」に戻れた時に書いた日記が残っています。
二月三日
今日、大泣きしている渓ちゃんの口の中を見てすごくうれしくなった!
下の歯茎に白い線・・・歯が生えている!
ほんの少し、ちょこんと生えた前歯。
成長している・・・確実に成長している。
当たり前のことだけど、今まで病気のことばかり気にしていたから、
「私は今、子育て中なんだ」ということを忘れかけていた。
かわいい、かわいい渓ちゃんの前歯。
今日は何度も口の中をのぞいてその歯を見た。
つるつる歯茎に出てきた白い線。
それは、渓ちゃんのかわいいかわいい前歯だった。
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